障害を抱えて生きて居るから言いたいhiroshiのことば

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介護とは何か? 001*同性介護の効と罪ー介護の在るべき姿〔私見〕(2018.02.21)

*同性介護の効と罪ー介護の在るべき姿

 

障害者に生まれ、41年が経った。

それと共に「介助」「介護」「福祉」などを

「考え」「感じ」「思い悩み」「格闘」「葛藤」「未来」「希望」などを持ち、28年が経つ。

この年月は、僕が生きる限り続いていくことになる。

 

さて、本題に入ろうと思う。

 

介護とは何か?

「介護」「介助」「福祉」は、みんなのためのものであると定義する。

それはなぜか?

誰もが障害や手助けを必要になった時に、力を借り、利用して良いものと考える。

 

人間が生きる上での行為、大きく4つに分ける。

「食事」「排泄」「着替え」「移動」「お風呂」と5つになったけれど、

この5本は、人間総て障害の有無に関わらず必要とされる。

この5つのうちの一つでも欠けたならば、

人間の体やこころは死んでしまうだろう。

 

今、

声高に「同性介護にあるべき」と言うが、本当にそうだろうか?

 

それを望む者には心地良いものだろう。

ただ介護をする側の人間の「権利」「人格」「心理」等は護られると考える。

 

ただ一つのキマリを守ることに拘ると「生きづらさ」、寂しさを感じる者も多い。

 

そしてなにより、「介護を頼みたい人に頼む権利」を奪ってしまうのです。

人間は、頼みやすい人、頼みにくい人、話しやすい人といることになる。

 

その中で、男は男って決めてしまうことは、選択を失くしてしまう人も出てくる。

両方の人に頼めるから安心できる時に、愉しさを感じることができる部分は多いと感じる。

それを、分けてしまうと言われることで、

「この人はやってくれない」と思うと、心は「傷つくものである」。

 

私は、「同性介護」を否定はしない人だと自分は思っている。

 

ただここで話したいのは、私は体を選べない。

でも、介護職の人たちは「仕事選び」をできるし、していることになると思う。

 

介護に携わる者が、前述した5つの行為に関して逃げるべきではない。

もしそんなふうにやるなら、「この仕事に就くべきではない。」

 

ただ、介助者や介護者に対し、「感謝」をしていないわけではないことは、書き記したい。

 

ただ、わたしが子供の頃から、「介護者が」上、「介護される側が」下、という考えが強いのは悲しいが実質である。

 

「男女同権」はよく聞くけれど、その前に、「人間同権」であることを肝に銘じなければいけないだろう。

 

介護者は「介護のプロ」である。

その知識、経験をフル活用すべきであるが、

最初からそうではない。

もちろん、「命」「体」を預かる以上は、

失敗をしてはならない部分があることは言うまでもない。

ただ人間は、「失敗」「経験」をすることで大きく成長するものである。

 

これはどの仕事に於いても言えることでもある。

 

だから、「失敗をしても良いサポート」「教育」の体制をつくることも必要なことと考える。

 

実質わたしも「失敗をして」経験し、失敗をされて経験をする中で、感じ取って来たモノも多い。

 

「プロは1日にして為らず」

「プロの完成は絶対無い」

 

人間は日々「感じ」「考える」ことで成長するものである。

「考え」「思い」「行動」が無ければ、成長をしないのでは無く、

「人として心が退化」するだろう。

 

ただプロだと思い自覚をするなら、

常に「心の耳」を育てていくべきものと考える。

 

誰も一言目から「プロだから」とか、そうで無いとか言うつもりなく、

そう言ってしまったなら、

育っていくところや心を奪ってしまうだろう。

だからこそ、

「失敗」は必要である。

 

介護って、

「きつい」

「汚い」

「過酷」。

いわゆる3Kと言われ、

おまけに、給料も、全産業と比べても10万〜15万安いとされる。

 

正直、良い仕事では無いと判断される材料は揃ってしまうのである。

「待遇改善」の1丁目は、福祉である。

 

ただこの仕事が3Kだけではないことの発信をする側受ける側が、タッグを組んで言い続けたいと思うし、そうあるべきと考え、そういう考えの発信と浸透に向けて、「心の叫び」を一人からでもスタートすべきである。

 

わたしはその一人になり、仲間を募り、社会に問いかけたい。

そして、

自分の大切なところが、未来に伝わるようにしたいと心から願う。

 

ー介護者と未来の介護者へー

どの仕事もそうだと思うのだが、

介護の扱っているものは「体では無く」、

「人の思い」や「心」を扱い、預かることである。

 

その達成感が、

信頼と心からの笑顔と介護の明るい未来への一助になると、

わたしは、心から言いたい。

 

誰もが笑える「共生社会」を心から願う。 

 

 ※代筆者からのお断り

この投稿は、先天性脳性麻痺による肢体不自由状態と、

脳躍動状態と身体運動機能との不整合を抱えていることでの言語表記の不具合を、

本人の意思のもと、

合理的配慮で表記変換を施しています。

また、文章スタイルは、本人のありのまま状態を尊重し、

意思と感情を反映しつつ、若干の加工を施しています。

ご理解願います。