障害を抱えて生きて居るから言いたいhiroshiのことば

この身体で産まれて来た湧き上がってくる意味を思いつくままに伝えて生く

介護とは何か? 004 *生き方は選べる❓ (2018.02.28)

*生き方は選べる❓

 

今、障害者は生き方の像(カタチ)を選び辛くなっている。

 

国は、「施設は造らない」「社会で生きていって欲しい。生くべきである」と方針を決めている。

そうであるなら、そうして生く為の仕組みづくり、体制づくりは、待った無しである。

 

国がこの政策を打ち出した背景には、

社会保障費」削減に舵を切ったからだと、

僕は思う。

 

病院や施設に入って居たく無い人、

またはそういう処が有るから生きていられる人も事実である。

それに、社会での共生を求めて生く中においては、

地域の皆さんの心の理解が最重要課題の一つである。

何においても「人の理解」は必要ではないだろうか‼️

 

私は、

できるなら、

自分の望むカタチで生きて生くことを望むのです。

それには、大きく分けて二つ理由があるのです。

 

①地域の中で自分を理解してもらいながら、自分のやりたい事をやって生く。

②施設に入った時、今40代の僕が70代まで生きたとして、

30年施設に居て、「終の住処」になってしまうのが、

心が耐えられないと思うのです。

 

その一方では、

グループホームや一人暮らしに転換をして、

自分の世界を確立している人が居る事も、

伝えたいと思う。

 

平成元年には400人の障害者が地域で暮らして居るという数字からスタートして、

平成27年には、10万人に増えている。

この数字を観ると大きな変化はしている様に思う。

ただ、

障害者が生きて生くには、

ヘルパーさんなどの慢性的な不足を、どう解決して行くのか❓

 

この大きな課題を、

国と、

人それぞれの「皆んなの課題」として受け止め解決していかなければ、

「障害者」、

または、「障害者になった時」に、

「自分らしい生き方」は難しいと言わなければいけない。

今、一人暮らしをしたくても、

「家を貸してもらえない」こともあたりまえの様に在る。

 

そして、

数年前に「障害者を差別しない法律」もできた。

それでも状況は変わらない。

 法律そのものを知らないことも多い。

もっと言ってしまえば、

自分がそうならないと解らないということだろう。

 

でも、こう言ってしまったからといって、

諦めてはいけないのは分かっている。

そのために私たちは、

それぞれの言葉で、

理解者、仲間と、

皆さんに訴えて生かなければならないことだと思う。

 

このことは、

障害者の問題では無く、

日本に住む皆んなのための課題、と

声を大にして言いたい。

「人には誰であっても、

どんな身体でも、

どんな身体になっても、

自分らしく生きて生活をする権利は有る。」

 

僕はこういう事を訴えて、

仲間、理解者と供にやって生きたい。

そしてこれを、

仕事に繋げ、

社会貢献して収入に繋げて生きて生きたい、と思う。

 

いつの日か、

こんな事を言わなくても良い日本になってもらいたいし、

して生きたい。

 

「経済先進国」日本は、

「福祉後進国」であると僕は思う。

 

福祉は、

「待遇改善」はしなければいけないが、

福祉に対する「考えの変化」をすることで、

現状の変化をできると僕は信じたい。

「一人の力は小さくても、みんなの力は大きい。」のである。

 

私は、

20年もの間同じ事を言ってきた。

 

変わらない口惜しさもあるが、

必要、大切なことは、

いつの時にでも言える心を守って居たいと思う。