介護とは何か❓011 *いのちの意味(2018.03.11)
*いのちの意味
数年前のこと。
神奈川で50人近い障害者施設での殺傷事件があった。
犯人は、
「障害者」には「生産性が無い」から、
「生きている意味が無い」。
また、
親たちが「子供の未来」を案じていたからやった、
と言った。
言葉も話せず、無抵抗な人を、
無差別に刺した。
何があろうと、
「人は殺してはいけない‼️」
それにこれは、
自分にとって「他人事では無い‼️」と想っている。
自分が話せても、
防御は100%無理だと想うからなのです。
「話せない」「動けない」「税金で養っている」そんな人間に、
意味があるのか⁉️と言われた時、
人間が生きる意味は、
誰にでもあって、
命の「価値」は誰にでも在る。
言葉が話してくれなくとも、
「笑顔」で会話したり、
なにか絶対その人が必要な意味は在る。
ただ、
「親」が「子ども」の将来を案じているのは、
内も変わらないと想う。
僕自身が、
「人生放棄」を考えることも在る。
僕たち「障害者」は、
命が早く終わってしまう人が少なくは無い。
僕はこの事件で、
亡くなった人、傷ついた人が居るなかで、
「何か問いかけられてる」気がしてならない。
命に代えて、
「社会への問いかけ」をしてくれたのでは…
今の、
「社会においての弱者の生き辛さ」、
自分らしさを活かして生きるということ、
何より、
「生きることの権利」を奪ってしまった。
こんな理不尽なことは、
1回であっても「有ってはいけない‼️」
「人間に、必要で無い人は居ない‼️」と想う。
それであっても、
「命は毎日生きて居るのが当然」でも無い。
だからこそ、
「今」を生きて居ることに「価値」が有る。
僕は、
「生きて居る意味」に、
一生かかっても「答え」が出せないかもしれない。
でも、
「生きた意味」を遺して生きたいとは想う。
今こうして生きて居ることに感謝して…
考え続けること、
取り組み続けて、
「答えを求める気持ち」を持って、
生きて生く‼️