障害を抱えて生きて居るから言いたいhiroshiのことば

この身体で産まれて来た湧き上がってくる意味を思いつくままに伝えて生く

介護とは何か❓014 障害とは何か? (2018.04.01)

*障害とは何か❓

 

僕は、

「障害者」という言葉を、

何百回と、書いてきた。

 

いろいろな「障害」を抱える人が居る。

 

その中で、

「どの障害のほうがこれが出来るから良い」、と

親たちが言うのを聞いてきた。

 

実際、

「どの障害が良い」なんて、

僕には言えない。

 

ただ、

「歩けない」より、

「歩けた」ほうが良い。

 

「話せない」より、

「話せた」ほうが良い。

 

「トイレが解らない」より、

「解った」ほうが良い。

など、

いろんな言葉を聞いてきた。

 

そのことは、

「かわいそう」「羨ましい」、

と、

関わる中で「大変さ」を感じるからだろうと思う。

 

でもそれは、

「本人たち」が、

自分の心や、考えの中で、

自分なりに解っていて、

悔しい、のだ‼️

 

「無い物ねだり」

「できない物ねだり」が、

あっているかもしれない。

 

そんな気持ちをもっての「言葉攻め」や「文句」に心が晒されるより、

「自分の身体」を、

とりあえず「受けとめて欲しい」と、

感じるのです。

 

なぜ、

「受けとめる」

と、

敢えて書いたかと言うと、

「受け容れる」という事は、

「難しい」からです。

 

41年間「障害者」として生きて、

「この身体」しかやったことがない僕でも、

完全に受け容れて無いのです。

 

あれができたら、

「やってもらえる」とか、

「やってもらえない」とか、

考えなくても良い、

思わなくても良い❗️

 

身体に対しても、

人の考えに対しても、

「諦めが肝心」と言う人も、

言葉もある。

 

でも、

それができれば、

やっている❗️と、

心から叫び続けている。

 

結局、

「ありのままの身体」や気持ちを「認識」「理解」をしてもらえないことが、

「一番の大障害」

なのです。

 

もし今自分が、

「障害者」と言われるようになったなら、

「どう思うのか?」

「感じるのか?」

「受け容れられるのか?」

「割り切れるのか?」

いろいろな言葉があると想います。

 

「悩まなくてよいことを悩む」

「心が苦しい想いをしなくて済むのに、苦しい」

 

このような事は、

「問題提起」や「人の考え」に対する「変化」が起きる時、

「求めたい」時、

には有効なのかとも想う。

 

なんと❗️

生き辛い世の中、なんだろう…………

 

毎日、

「同じ問題」「行為」の中で、

「我慢」や「堪える」ことを、

しなくちゃいけないのだろうか⁉️

 

そのことを「憤る」だけでは、

なにも始まらない。

 

人の人生は堪えることもある。

 

でも、

「堪える」や「我慢」や「苦しみ」ばかりでは、

生きていけない。

 

それでも、

明日は来る。

ある意味、

来てしまうのです。

 

こんな、

「悲観的」になってしまう自分が、

いつも心に居る。

 

デイサービスにも行きたくない❗️

でも、

本当に行きたくないわけでは無い。

 

行きたくて、必要でも、

でも、

心が苦しくて。

 

僕の予定は大勢の人に「支えられて居る」。

だからこそ、

簡単には休めない。

 

それは、

人の気持ちを感じてしまう。

と、

想って居る。

 

僕は毎日、

人の心と向き合いながら生きて居る。

 

厳しい言い方をすれば、

生きて生なければならない。

 

「障害者」も、

「健常者」も、

苦しいことには変わりは無いのかもしれない。

 

「障害」から逃げたい、

好きなことを思いきりやりたい、

と、

「心の嘆き」で苦しむ自分が居る。

 

「前向き」に考えられない今、を、

 

生きて居る。