障害を抱えて生きて居るから言いたいhiroshiのことば

この身体で産まれて来た湧き上がってくる意味を思いつくままに伝えて生く

夢未来❣️ 004 ブログへの想い(2018.04.01)

❣️ブログへの想い❣️

もう

ブログを始めて1ヶ月が経った。

 

もう

みなさんも知ってのとおり、

代筆者が居ます。

 

これから何を描くのか❓、と

思うかたもいるかもしれません。

自分にも、

先は判りません。(笑)

 

でも、

5つくらいの話を建てて生きたいと、

考えました。

 

1.福祉に対する想い

2.未来を考えること

3.自分を曝け出すことに挑戦すること

4.趣味などの好きなことも描くこと

5.良い意味で、話す、考えるブログにしたいこと

 

この中での、

3について、

少し、

お話しさせてもらいます。

 

自分の「生活」「身体」について、

正直に描きたいと思います。

 

時に、

そこまで描くの⁉️

と、

良いの⁉️

と、

読んでくれるみなさんに伝えて生きたいと

想います。

 

ぼくのブログの記事は、

レポート用紙4~8枚までで、

今のところ書いています。

 

「できている」が正しいかもしれません。

 

描きたい内容を5つにしたのは、

「福祉1本」だと、

描いている自分が、

「疲れ」を感じてしまうと、

考えたのです。

 

描いている自分が、

描き終わった時に、

「疲れ」は良いけど、

描いている時は、

「楽しさを感じながら描く」をテーマにしたいのです。

 

でも、

「福祉」「介護」「気持ち」が、

大きな柱の1本。

「大黒柱」にはして生きます。

 

ぼくは、

野球が好きです。

野球には、

「キャッチボール」があります。

 

ぼくは、

インターネットの世界に、

「一方的」に、

記事を描くことになります。

でも、

自分の気持ちを届ける

「キャッチボール」をして生きます。

 

ぼくが「何を描きたい」のかが、

「重要」だとは想っています。

 

「何が描けるのか⁉️」

「どう描けるのか⁉️」は、

自分でも判りません。

 

自分には、

「1つの作品」という程、

大きいものは描けません。

 

でも、

このブログを、

「一つの作品」にして生きます。

 

今回のこの1本は、

「hisoshiの筆休め」の1本にします。

介護とは何か❓013 hiroshiの福祉の考え方《8供1創》 (2018.03.30)

*hiroshiの福祉の考え方《8供1創》

 

さて、

今日もペンを取ってみようと思います。

 

今回は、

大きなテーマになると想うので、

話が跳んでしまうので、

よろしくお願いします。

 

先ず、

《8供1創》について描きたい。

 

1.共生(ともにいきる)

2.共有(ともにあって)

3.共感(ともにかんじ)

4.共助(ともにたすけ)

5.共動(ともにうごき)

6.共考(ともにかんがえ)

7.共育(ともにそだち)

8.共進(ともにすすむ)

9.創造(つくりあげる)

 

これを、

福祉を

「感じ」

「考え」

「生きて」

「想い」

続けた、

「自分の考え」なのです。

 

この《8供1創》は、

「言葉の口惜しさ」から産まれたのです。

 

日本の国家予算の30%台は、

福祉に使われている。

もちろん、

この予算は、

日本国民全員の為の予算です。

僕はそう理解をしている。

 

ただ、

この予算のことを、

「障害者、高齢者を面倒を見る予算」

言う人が、

僕の周り、結構居たんです。

 

「なんと酷い言い方だろう…」と想う。

 

「健常者の人」だって、

風邪をひけば薬局で薬をもらうでしょう。

「その時にこの予算は使うでしょ❗️」って、

反発を通り越して想ったことを言ったことがある。

 

誰が病院に入院しても、

使われるはずです。

 

「障害者年金」を、

「補装具や車椅子を作るお金に使う」って言い方もした人も居た。

 

この予算は、

「人を面倒見る予算」では無く、

「人が人らしく生きる予算」なのです。

 

僕にこんな風に言った人も、

いつ「障害者」になるかは判らない。

そんな時に、

「自分を有りの侭の身体で生きて生く」時には、

使うことになる。

 

僕は、

人はどんな身体であっても、

「有りの侭で生きる権利」が有る。

これは、

誰がどう言おうとも、思おうとも自由だけど、

「断言」を200%する。

 

その考えを言った上で、

今度は、

「人権」と「心権」に移ろうと想う。

 

人の考えはいろいろが有ると同じ様に、

「いろんな考え」が在っても良いと想う。

ただ、

人は、

人の話を肯定するより否定が強い人も居る。

肯定あるいは認める、ができなくても、

否定はしなくても良いんじゃ無い❓って想ったりする。

ただ、

否定に似て居るかもしれないけれど、

「ついていけない考え」も在る。

 

でも人には、

「言葉の自由」「考えの自由」は在る。

 

基本僕は、

人がしてはいけないこと、

ざっくり言うと、

警察に捕まる様なこと以外は、

認めても良いと想う。

 

人には「人権」がある。

 

「障害者」「健常者」「LGBT」の人たちなど、

もっと分類すれば沢山あると想うけれど、

今は思いつかない。

 

どんな立場に置かれても、

「自分の大切に感じる想い」は、

護ってあげたいし、

護ってもらいたい。

 

もちろん、

僕が受け止める側になっても同じだと、

想って居る。

 

「虐め」「差別」「区別」「虐待」は紙一重で、

相手がこの四つを想ってしまえば、

「成立するもの」だと想う。

逆に言えば、

「成立してしまう」のです。

 

「介護とは何か❓」を描いた時に、

「自分の望む介護」を認識してもらえずに、

「やってもらえない」。

とりわけ、

排泄介助の場面が顕著である。

ある意味、

「仕事を選ばれる状態」を、

「心権侵害」になって、

「心が苦しい」まま生活して生かなければいけなくなる。

 

この状態は、

「総て思うとおりにならないといけない」

というのとは違う。

 

「総て思い通り」=「わがまま」になってしまう。

僕の言いたいことはやってくれない。

認識、理解をしてもらえない。

 

解っていて、

決まりとしてやらないと想って居るかもしれないが、

頼んだ人の気持ちは、

何処に棄てられてしまうのかと想う。

 

その人に頼むということは、

1回、1日、1ヶ月の積み重ねの中で出来ていくものです。

 

僕はよく話すけれど、

自分が話すことは得意だけど、

「頼むこと」は、

「気持ち」も「言葉」も、

「言い辛い心」を持って居る。

 

hiroshiの考えの中で、

二つの信頼感、または、信頼という想いが在る。

 

1.心頼感(心頼る感覚)

2.信頼感(信じて頼る感覚)

3.心頼(心頼る)

4.信頼(信じて頼る)

この四つなのです。

1が生まれなければ2は生まれない。

2が生まれなければ3は生まれるはずも無い。

4には進めるわけも無い。

 

今これを書いていて、

涙が出てくるが、

ペンを走らせることにする。

 

「障害者」であるから、

頼まなければできないのに、

「自分の勇気の出した一言」から逃げる。

逃げて居る感覚は無くても、

自分、または相手に伝わってしまえば、

同じことになってしまうのです。

そうなると、

「言って良いのか?悪いのか?」

そんな心の中で、

言葉は言えなくなる。

 

この状況が生まれる中で、

「言えるんだから…」と言われても、

「それは無理だ❗️」と叫びたい。

というか、

「心が壊れる」「壊れていく感覚」が、

毎日在る。

 

人間はストレスを感じる。

ただこれは、

感じさせなくてよいストレスなのである。

 

しかも、

決まり事を徹底しているわけでも無い。

 

「やってもらえてる人」には、

「やらなければ煩い」からとか、

「文句が出ることが有る」からやる。

少なくとも僕にはそう見えるし、

僕のアンテナはそれを受信してる。

 

だったら、

「全員で全員のことをやろうよ❗️」と

言いたい。

でも、

言えば、

「やっている。」「やっているじゃないか。」と言う。

でもこれは、

本人に伝わらなければ成立しないのです。

 

今僕の中に在る「介護」は、

「都合の良い介護」だと想う。

 

僕がこのテーマを今描くのは、

子供の頃にも「逃げられた」。

虐めにも繋がった、

大人、子どもに関係無く、

その気持ちがあって、

続いていて、

その気持ちが強く出ると堕ち込んで、

気持ちが真っ暗闇を感じ、

「漂流状態」になる。

「人間不信」なところもある。

 

ただ大事なのは、

この状況は「創り出されている」のです。

 

私は障害者である。

このことは、

変わり様も、

替え様も無い。

選び様も無い。

だから苦しい。

 

でも僕は、

「障害者」を辞めない。

辞められないからでは無い。

「障害者」だからこそ、

今僕の周りに居る人達に逢えたからです。

「障害者」であるから、

「描ける気持ち」が在る。

 

これは、

僕が人生を「生き切る」うえでの一生を通した「仕事」だと想う。

 

僕は自分が関わる人、

関わってくる人に対して、

ある意味の「好き」になりたい、

「頼りたい」、「甘えたい」と想って居る。

また、

みんなを大切に想って居る。

 

明日4/1から新年度が始まり、

「新たな出逢い」と「希望」を持って明日を生きようと想う。

 

僕は、

この《8供1創》を考えた時、

「自分らしさ」「みんならしさ」で「生きたい」「行きたい」から、

心の中から「産まれて来た」のです。

僕はこれからも、

《8供1創》の意味を考え、

描くことで訴えて生く。

 

そして、

答えは出ないかもしれないが、

「真の共生社会」を創る一人に成りたい。

 

一人では何もできないこともある。

孤立もある。

一人から始まる、始められることもある。

仲間と共に歩き、

《8供1創》の考えも「新説」として根付かせて生きたい。

みなさんも一緒に考えてもらいたい。

 

とりあえず、今回はペンを置くことにする。

 

桜と辛夷(こぶし)の花が満開で、

春を感じて居る。

 

*代筆者(座敷童)からのお断り

◎hiroshiの執筆するスピードと、

ブログアップのタイミング、時節のズレを前提で、

このブログは進行しております。

hiroshi了承のうえでの進行を御理解くださいませ。

内容こそ御吟味願います。

 

◎また、

今回のテーマの振り返りとして、

「介護とは何か❓001」の再読も御願い致します。

 

よろしく御願い致します。

夢見来❣️ 003 身体に障害が在っても… (2018.03.29)

❣️身体に障害が在っても…❣️

 

hiroshiという人間には、

嫌だろうが、

受容できようができまいが、

脳性麻痺による四肢体幹機能障害」は付いてくる。

これは、

僕の「障害」の正式名称です。

 

これを略したものが、

脳性麻痺」と呼ばれて居る。

 

これを、

インターネットの世界で言うのは、

初めてです。

 

でも、

文章を描く時には、

「障害」は、

日々の生活よりは感じていない。

むしろ、

hiroshiの心や頭は躍動して居る、

と感じて居る。

 

この躍動が、

身体にも使えたらと、

刹那く想う今日この頃であるけれど、

それは、

hiroshiで産まれた以上無理で在る。

 

「描く」ということの中には、

自分にとっての「障害」は無い、

と自分でも感じ始めている。

そして、

そのことに改めて気づかせてくれたのは、

代筆者をしてくれて居る、

座敷童さんには心から感謝する。

これからも、

一つ一つ魂を入れた「話」「想い」を、

ブログにぶつけて生こうと想う。

 

そして、

留めることのできない溢れる言葉を、

「hiroshi語」

として、

ブログの世界で暴れさせたい。

 

hiroshiは、

スポーツでも自分なりに暴れて来たけれど、

一番自分らしいのは、

「話すこと」。

二番目には、

「描くこと」。

つまり僕は、

二つ目の「自由」と「武器」を、

手に入れた。

 

ちなみに一つ言うと、

僕は、

この文章を、

パソコンでは無く、

「手書き」で描いて居る。

パソコンだと、

身体に余計な力が入り、

体力を奪ってしまう。

だから、

ペン1本を持ち、

レポート用紙に向かって居る。

 

もうこの1ヶ月で、

15本〜20本近い想いを、

代筆者の座敷童さんに届けた。

 

なかば、

書き上げるペースに驚かれたりもする。

 

自分は、

ペースを決めていないけれど、

無理もしていないけれど、

こんなに速いとは思わなかった。

 

今hiroshiにとっては、

幾つもやって居ることはあるけれど、

「ライフワーク」に成った。

 

何を描こうと、

考える時もある。

けれど、

90%くらいの確率で、

「描きたいテーマ」や「文章の一部」が生まれて来る。

それを組み立てることが、

僕の「描く」という行為なのです。

そして、

この行為で、

「自立」に繋がったら良いかなと想う。

 

「描くことの自由」に気づいたことと、

「自分の中の言葉の海」を、

「舟」に載って進みたいと想う。

 

そしていつか、

その舟が、

「宝船」に成ったら嬉しく想う。

🌟ちょっと、四呼吸🌟言葉の伝わり方と捉え方 (2018.03.29)

🌟言葉の伝わり方と捉え方

 

言葉には意味が在る。

 

自分、

正直な思いを言いたい人に伝えられずに、

言い易い第三者に言ったら、

「愚痴になってしまう」、

と言葉が返って来た。

 

僕は、

言い易い人に想いを伝えたわけなのです。

 

何故直接ではなかったのか‼️

 

それは、

相手に対する、

自分の気持ちの言い辛い心が在る。

そこの大切を巧く言えない辛さは、

なかなか伝わらない。

というのが、

話した相手との「心の距離の遠さ」に繋がってしまうし、

繋がって居るのだと想う。

 

僕は、

「愚痴」と「想い」は、

「表裏一体」と考えて居る。

「愚痴」と想って聴いてしまえば、

その気持ちの一部しか覗くことができない。

 

ただ想いと感じ捉えてもらえたならば、

「言葉の深さ」、

「想いの深さ」、

に気づくことができていく。

そのなかで、

「言えない自分」が「言える自分」、

「聴く耳を持てない自分」が「聴く耳を持てる自分」

に成って生くと想う。

 

その関係を築く、

速い人、遅い人

居ると想う。

 

ただ、

巧く言えない気持ちを汲み取ってもらえたなら、

汲み取れたなら、

心は近くなり、

相談し易くなる、され易くもなると想って居る。

 

最近の会話のなかで、

「捉え方の大切さ」を考え、

相手に伝わり難い自分の言葉に、

「苛立ち」と「刹那さ」と「淋しさ」 の中で、

心が藻搔いて居る。

 

決して、

伝えたく無いのでは無く、

伝えたい。

本当に沢山有って。

 

一応、

いや多分、

言語障害が無いと、

150%判断されてしまって居ると感じる「自分の葛藤」は、

毎日在る。

 

この感覚は、

「障害の有無」には関係無いかもしれない。

 

ただある意味、

「伝えられること」から興きてくる、

「伝力障害」に苦しむ自分自心に悩みながら、

今を生きて居る。

 

そしていつの日か、

こういう苦しみから解き放たれたい自分が居る。

 

こういう状態を、

「認識」「理解」の中で、

「有りの侭の自分の言葉」を使えることでの、

「言葉の自由」

を持ちたいと、

心の底から感じて居る。

 

 

夢見来❣️ 002 HIROSHI's WORLD(2018.03.29)

❣️HIROSHI's WORLD❣️

 

HIROSHI's WORLDとは、

僕が、23〜26歳までの3年余り、

友人に更新をお任せしてやっていたホームページである。

 

そのホームページで、

「HIROSHIの思い」というコーナーが有った。

このコーナーの中で、

僕が日々感じて居ることや、

趣味や、

当時産まれて来た甥っ子成長日記、

そして、

今書き綴って居るhiroshiの想いや考えを書いていた。

 

今のブログ、

「障害を抱えて生きて居るから言いたいhiroshiのことば」は、

15年余りの時が経ち、

代筆者である「座敷童(ざしきわらし)」さんの力を借り、投稿して居るのです。

ちなみに、

「座敷童」とは、

代筆者が考えた仮名です。

 

今私が描いていることは、

20代の時と変わらないのである。

それでは、

成長していないではないか、

と感じる人もいるかもしれない。

 

でも、

そこのところについては、

何年経っても心の状況が変わらないのもあるけれど、

いつ、

どんな時、

何年経とうとも、

「大切なところ」は揺るがないから変わらない、

と自分は想って居る。

 

当時も今も変わらないモノは何か⁉️

 

それは、

「自分の考えを強く持つということ」に繋がって居るのです。

 

ただ、

その気持ちを話にした時に、

「伝わり易く」「スリム」になって居るかは、

「別問題」なのです。

 

言うならば、

「ありのまま」の中に在る、

「自分の信念」になると想って居る。

 

その気持ちと一緒に、

今、

hiroshiの人生、時間を生きて居る。

 

ただ、

日々の生活において、

「自分の気持ち」を伝えたり、

「言うべきことは言う」、

というスタンスを取れて居るのか⁉️

と言えば、

空気を読み、

自分の気持ちを押し殺して生きて居る、

ハッキリ解って居る。

 

この呪縛は、

何年もの積み重ねになってしまって居るから、

目に見えてわかるほどに、

一気には「変われない」ところもある。

 

では何故「変われない」のだろうか⁉️

 

実は、

答えはハッキリしていて、

「やって貰う側の自分」が強く出てしまうと、

「やる側の反感」をカッテ、

「気持ち良い心での介護」は受けられないことが、

定説になってしまって居るところもある。

 

「やる側が上」、

「受ける側が下」、

という図式としてできて居る。

 

だから意外と、

僕もその仲間も、

「良い人」を演じなければいけないところもある。

 

そういう「刹那さ」を抱え、

「悔しさ」を感じていたからこそ、

「書くこと」での「ストレスの発散」をしたいが為に、

「ありのままの気持ち」を書いていた。

 

でも今は、

若干変わって来て居る。

 

「その時の心にあった気持ちの理由」を書かなければ、

今の自分のできる限りの「正直な気持ち」を、

真っ直ぐに向き合って描くことで、

40歳代の「今」を生きて居ると、

言うことになるのだと感じて居る。

 

20代に「見つけられなかった答え」を出したい。

 

15年の時が経った今だからこそ、

できる「チャンス」を、

今、手にしかけていると想う自分が居る。

 

だからこそ、

このブログにおいては、

纏まらなくても、

「本心と本音」で、

皆さんに読んで貰いたい。

 

また時には、

「語りかけ」や「問いかけ」をしたいと考えて居る。

 

 

夢見来❣️001 世界の確立に必要な人(2018.06.10)

❣️世界の確立に必要な人❣️

 

みなさん こんにちは😃

hroshiです。

今日は、6月10日です。

6月の4本目です。

(代筆者からお詫び:アップのタイミングは時節とずれます。本人了承です。)

 

障害者が生活をして生く上で、

ヘルパーさんなどの力が必要になります。

 

ヘルパーさんの力を借りる時に手助けをしてくれる人を、

「ケアマネジャー」という仕事があります。

ケアマネさんは、利用者さんの意見や気持ちなどを聴いて、

利用者の生活を支えてくれます。

 

でも、

僕には一つ心配ごとがいつもあります。

 

それは、

ケアマネさんが替わることです。

 

hiroshiのお世話になって居るケアマネさんは、

ある法人の人です。

そうなってくると、

「人事異動」が有ります。

 

今hiroshiがお世話なって居る人は、

hiroshiの気持ちや言葉を巧く汲み取ってくれています。

ある意味の、

心のコミュニケーションが取れることが重要です。

 

hiroshiの様に40代になると、

生活の形が変化します。

 

その大きな理由は、

「親」です。

 

僕が大人になるということは、

親は歳を重ねて生きます。

そうなってくると、

生活の場所は、

「施設」「グループホーム」「独り暮らし」などがあります。

 

この様なケースの中で、

ケアマネさんが替わるということは、

自分の気持ちの受け取り方、

捉え方で、

変わってしまうところもあるかもしれません。

 

特にこれから、

生活の確立や、

今ある像の継続をして生く上で、

重要なことになります。

 

やっぱりいつも想うことですが、

人間関係を築くことと、

もし人が替わっても生活を変わらずに送れるということを、

一番大切にしたいと想って居ます。

 

数年後に迎える生活の変化に、

どう進んで生くのか⁉️

 

今から考えなければいけないと考えて居ます。

 

親が居なくなった時に、

生きていかなければいけない、のでは無く、

安心して生きて生ける環境づくりが必要なのです。

 

だって、

親が居なくなっても、

自分は生きて生くということは変わらない‼️

 

それと同じくらい大切なことは、

自分のやりたいこと、

やっていこうとするには、

「地域」で暮らすといくことなのです。

 

地域で生きて、

自分でも自分なりの像で、

生きて生けると自分もできると想いたいし、

一人でも多くの人が、

地域で暮らすことができれば、

社会や人の目や、

新しい想いや考えが産まれて、

その考えが自分以外の人にも伝わり征くことで、

「新しい考えという果実」が実って生くのではないでしょうか‼️

 

人は、

生き貫くには、

誰かの力を借りて生きるのです。

 

これは、

「障害」の「有無」に関係無い‼️

 

ただ、

障害者には身体の手助けが必要だということです。

 

いつの日か、

こういう手助けが、

良い意味で、

それだけのこと、

と言い切ってしまえる時が来ることを、

心がこの想いで膨らみ続けているのです。

 

いずれにおいても、

僕がこれからも自分の生活を拡げる、

または切り開いて生くには、

多くの人の力と、

僕の想いを受け入れてくれる仲間が増えていくことが、

どうしても必要です。

 

こう想って居るからこそ、

「ケアマネージャーさんという人」が、

人と人を繋いでくれる大切な人なのです。

 

ある意味、

hiroshiの想いを汲み取りながら、

多くの皆さんと、

「共動」のための大切なパートナーなのです。

 

ちなみにhiroshiは、

今のケアマネさんと出逢ったのは2015年10月です。

今日は2018年6月10日なので、

3年目のお付き合いになります。

 

これまでも良い関係を築いてこられたと想って居る。

 

僕にはもったいないくらいの人なのです。

これからもお付き合いを5年、10年と続いて生けたらと想って居ます。

 

できるなら、

一生付き合って生きたいと毎日想って居ます。

 

名前は言えないけれど、

いつもありがとうございます❣️

 

これからも、

よろしく御願いします❣️

 

※代筆者からのお断り

この投稿は、先天性脳性小児麻痺による肢体不自由状態と、

脳躍動状態と身体運動機能との不整合を抱えていることでの言語表記の不具合を、

本人の意思のもと、

合理的配慮で表記変換を施しています。

また、文章スタイルは、本人のありのまま状態を尊重し、

意思と感情を反映しつつ、若干の加工を施しています。

ご理解願います。

 

また、

hiroshiへのコメントも大歓迎です❣️

 

対応は天運招来です。

お楽しみに❣️

介護とは何か❓ 012 *生きて生く怖さ (2018.03.27)

*生きて生く怖さ

 

今日も僕は、

レポート用紙に向かって居る。

 

今日のテーマは、「生きて生く怖さ」にした。

 

今僕の家庭においての「身体的生活」は、

お母さんに100%支えられて居る。

 

このお母さんが居なくなった時のことを、

最近よく想像するのです。

親が60代、自分が40代であれば、

日々その不安は頭の中にあって、

「拭いきれないもの」である。

 

人は、

障害を抱えて居なくても、

「生きて生くことの怖さ」は有るものだと、

僕の周りの人も言う。

 

そういった意味では、

自分だけでは無いと想うことも、

自分の心で感じられるときも在る。

 

ただ自分は、

親亡き後の「生活の形」を想像しなければならない時期に来て居る。

確かに今、

社会におけるサービスは、

自分が子どもの頃であった30年くらい前よりは、

「生き易い」社会に変わりつつあるので、

「生き易い」事態には変わりつつあるのも、

事実であるように想う。

 

ではなぜ「怖さ」を感じるのか❓

 

それは、

「金銭的不安」と、

「障害を抱えた人たちの生活の形」の「多様性の確立」ができ辛いことと、

その確立をしようにも、

サービスの「地域的格差」が在ることが、

大きな原因なのだと、

自分は想う。

 

そういうことに対しての不安で、

「気持が支配」されてしまって居るところは在る。

 

どう、

そこを変えて生くのか⁉️

課題だと想う。

 

僕の気持ちの中で、

「地域で生きて生くこと」、

それをテーマにして居る。

 

それはどうしてか⁉️

 

障害を抱えた人たちが「地域生活」をすることによって、

地域の認識や理解が深まって行くこと。

それに伴って、

他の人にも、

「私にもできる」と想ってもらえるんじゃないかと想って居る。

 

地域で生きて生くことで、

「施設」とは違うものが観えるところもあるように考えるのです。

 

かと言って、

「施設」で暮らしている「仲間たち」を否定はしない。

 

ただ言葉で言うほど「簡単」では無い。

 

不安が自分の気持ちの「支配」に変わりは無い。

 

ただその時期が来たならば、

いつかこの生活をして良かったと想える時が来ることを、

信じて生きて生きたいという、

気持は「小さな芽を出しつつ在る」。

 

僕は、

今の生活を維持しながら生きて生くことと、

今自分ができることを考えながら、

自分の気持ちにある小さな芽を育てて生きたいと、

想ってるのです。

 

そして、

僕の大好きな「ひまわり」は、

希望という名の太陽の力で、

太陽の先にあると信じて居る、

「自分の未来」に向かって生きたいと想う。

 

自分の想う「未来の完成形」は、

生きて生く形に悩まない、「その人らしい生活の確立」、

それが、

真の「共生社会」だと、

僕は自分の考えとして伝えて生きたい。

 

そしていつか、

今僕が描いていることが、

描かなくても良い、

障害を抱えた人が「心から棲み易い社会」となることを、

私は心から願うのです。

 

人は、

「思うだけ、考えるだけなら誰でもできる」という人も居る。

 

でも、

障害を抱えた僕は、

「想いが変化の始まり」だと信じて居る。

 

その「変化の始まり」のキッカケや、

こういう考えが、

社会に根っ子を張って育って生くように、

今できること一つ一つ、

確実にやって生きたいと考えて居る。

 

そして、そのことが、

障害を抱えて産まれて来た、

「hiroshiの役割」であって、

「hiroshiという人生を生きて生くこと」なのだと想う。

 

そして今、

僕に関わってくれて居る皆さんと、

これから人生で関わって生く皆さんに向けて、

御願いが一つあります。

 

私の信じる未来に向けて、

皆さんの御支援と、

hiroshiの考えを拡めて生く気持ちの「伝道者」として、

力を貸していただきたいと想って居ます。