障害を抱えて生きて居るから言いたいhiroshiのことば

この身体で産まれて来た湧き上がってくる意味を思いつくままに伝えて生く

夢未来 ❣️ 005 戦争❓ 平和❓ (2018.08.08)

❣️戦争❓ 平和❓❣️

 

こんにちは、hiroshiです。

 

150本目になりました。

 

本当は、

「障害 」についての話を描こうと想っていましたが、

「戦争についての話」を、

させてください。

 

1945年8月6日

広島に原爆が投下されました。

同じく8月9日

長崎にも投下されました。

 

そのことが最終的な結果になり、

8月15日

「敗戦(負け)」を認め、

終戦になったのです。

 

本当は、

もっと細かく書くべきことなのでしょうが、

嘘や間違いを書きたくは無いので、

ペンを先に進めて行きたいと思います。

 

みなさんは、

天皇陛下をどう想いますか❓

 

昭和天皇は、

戦争をする中で最高責任者であったのだと、

おじいちゃんから教わりました。

 

子どもだったので、

僕には解りやすいように説明をしてくれたのだと想います。

 

では何故、

天皇が国民に慕われるようになって行ったのか❓

それは、

「全国お詫びの旅」に出たそうです。

そこから慕われるようになったのだと、

教わりました。

 

その後昭和40年代になり、

日本国憲法に替わって、

天皇は「象徴」として位置付けされました。

 

その後日本人は、

天皇陛下を慕うようになったと、

僕は認識しています。

 

戦争の終わりについて描きたいわけではなかったけれど、

チョット書かせてもらいました。

 

ちなみに加筆になりますが、

日本は、

「戦争で敗けを認めた唯一の国」です。

 

今広島には、

被爆者」が15万人居るそうです。

その方たちの平均年齢は、

82歳なのだそうです。

 

戦争を知る人は、

時の流れと共に減っていきます。

だからこそ、

戦争のその後の貧しさについて、

聴いておくべきなのだと感じています。

 

ちなみに、

hiroshiの親も二人とも戦後生まれです。

だから、

貧しさは知っていても、

戦争の事態は知りません。

ということは、

hiroshiは、

戦争を知らない第2世代なわけです。

 

日本の戦争の振り返りをしたくてペンを走らせたわけではありません。

ごめんなさい。

 

ここから、

描きたいことをスタートさせます。

 

今世界に、

1万個以上の核爆弾が在ると言われています。

 

使ってしまったら、

世界は「混乱の道」を進むでしょう。

 

言うならば、

核爆弾を持つ国は、

政治的優位の他に、

軍事的優位も持って生きたいのだと想います。

 

今も残念ながら、

世界の何処かで戦争は起きています。

 

国に中で主導権争いをして国を壊し、

罪の無い国民を殺し、

戦争難民を増やして居る。

 

日本は、

専守防衛」の下に戦争をせず、

「軍隊」を持たず、

と謳っている。

 

自衛隊」を「軍隊」と言われる人も多いこの頃ですが、

それは人それぞれの考えが有るので、

hiroshiの見解も有りますが、

この話の中においては、

控えたいと想います。

 

戦争は、

子どもの未来、

地域の繋がりなどを、

奪ってしまうからこそ、

起こしてはならない‼️

 

これは、

広島、長崎の被爆者の人でなくとも、

認識をしてもらえるのではないかと想います。

 

戦争は、

国が豊かであろうと、

貧しい国であったにしても、

起きてしまうのだ。

 

考えてみれば、

人間は頭は良くても、

必ずしも、

正しい頭の使い方はしていない。

 

そんなところに頭を使うならば、

貧しい国に沢山食料を贈ったり、

料理を作ってあげたり、

生活の援助を、

もっとやれば良いと想ってしまう。

 

さて、

日本に話を戻します。

 

おじいさん、おばあさんたちが、

戦争は苦しかったはずなのに、

活き活きと話をしてくれる。

それが何故なのか❓

高校生くらいの時は解らなかった。

 

でも今は、

それがなんとなく解る。

 

苦しい時代を生き抜いて子どもを育み、

僕たちの親にしてくれた。

 

そして、

自分たちも子どもに伝えていくのは、

僕たちの責任だと想っている。

 

そして、

語り継ぐことで、

平和な日本、

平和な世界を築く、

一つの考えが育っていく。

 

そして、

平和への道が続くだろうと想って居る。

 

暑い夏に、

戦争とは何か❓

という大切で、

大きなテーマを考えた、hiroshiなのでした。

 

みなさんも、

それぞれの感性(心)で考えてみては、

いかがでしょうか❣️

 

※代筆者からのお断り

hiroshiは、先天性脳性麻痺による肢体不自由状態です。

脳躍動状態と身体運動機能との不整合を抱えていることで、

言語表記の不具合を抱えて居ます。

本人の意思のもと、

合理的配慮で表記変換を施しています。

また、

文章スタイルは、hiroshiのありのまま状態を尊重し、

意思と感情を反映しつつ、若干の加工を施しています。

そして、

投稿掲載タイミングは、

天運に依り運行されていることも、

御理解願います。

(座敷童子)

介護とは何か❓ 015 人を育てること (2018.04.02)

*人を育てること

 

人を育てることは、

「共育」と僕は想う。

 

今年も僕は、

「フレッシュmen」「フレッシュwomen」と、

一緒に育ちたいと想って居る。

 

「人材育成」は、

組織にとって毎年の課題のように想う。

 

特に、

福祉においては、

「情熱」を持って就職をしても、

数ヶ月で辞めてしまう。

仕事の「過酷さ」や、

「水準」を求められることに着いていけない「自分の心」があるのだと、

僕は感じて居る。

 

そんな時僕は、

こう、声をかける。

「あなたならできるよ。」

「できるからやろうよ。」

「頼りにしているね。」など、

関わる上で、

「タイミング」と「前向きさ」を観ながら話す。

 

なぜそうするのか❓

 

「教育」「教え育てること」は、

職場の先輩たちがするべきこと、

してくれること、

と、考えて居る。

 

「厳しく」と、

時には「愛情」を持って、

利用者さんの生活を護るために教えていると、

生活している中で、僕は感じている。

 

ではなぜ、

「できるからやろう。」と言うのか❓

 

それは僕が、

親の会社で仕事していた時に想ったことがある。

18歳〜29歳まで、仕事をしていたことがある。

周りからは、

仕事の真似事に見えていたかもしれない。

 

「電話の対応」

電話での仕事の確保をしていた。

 何故かというと、

運送業なのである。

 

僕の周りは10歳、20歳上の先輩ばかりで、

僕は「社長の息子」で、「障害者」で、

車に乗ること=現場に出ると従業員は思っていた。

 

いつか僕は 「現場第一主義」と言ったら、

トラックにも乗らずに、

現場にも行かない。

「あっち行け、こっち行け。」と言うだけの奴に言われたく無い、

と言われた。

 

なんと酷い言い方だと、

正直若い僕は想った。

 

でも、

ドライバーをしている人はプライドがあったのだと、

今ならなんとなく解る。

 

そのうえ僕には、

大人に着いていかないといけなかったのです。

だから僕は、

背伸びをして大人になろうと思い、

「焦り」もあった。

当然、無理なのだ。

 

それに僕は、経営者の息子だし、

「仲間」にも「同僚」にも成れなかった。

「働く側」と「会社経営者」は、

一緒にはなってはいけないところもあるし、

難しいところなのです。

 

だから僕は、

「心の現場第一主義」を掲げた。

 

正直僕にも、

「仲間」と切磋琢磨しながら、

大人の階段を昇りたかった。

 

そんな想いがあって、

面倒を看てもらう、

お世話になる自分で在っても、

「心はユックリ大人になっても良いよ❣️」と、

少し歳上の人生の先輩として、

いろいろ話をしている。

 

実は、

最初に書いた言葉は、

自分がかけて欲しい言葉でもあったんだ❣️

 

若い頃には余裕が無い。

求められる事が多いからだと想う。

 

でも若さには、

「伸びしろ」と「成長力」と「可能性」は有ると信じている。

 

僕には、

「教育」はできないし、

そんなに偉くも無い。

 

でも、

「共育(共に育つこと)」は、

ユックリでも一緒にできると想っている。

 

なぜなら、

自分はユックリ確実にしか、成長できないと想って居る。

でもそれならできると自分を信じて居る。

それでも、

自分が一歩一歩歩いて道ができたという自負がある。

 

だからこそ、

「フレッシュmen・フレッシュwomen」たちと、

頑張って自分の毎日を生きて、

「hiroshiの仕事」を、

一日一日「全力投球」したいと想って居る。

 

今は、

そんな明日を楽しみにして居る。

 

 

 

介護とは何か❓014 障害とは何か? (2018.04.01)

*障害とは何か❓

 

僕は、

「障害者」という言葉を、

何百回と、書いてきた。

 

いろいろな「障害」を抱える人が居る。

 

その中で、

「どの障害のほうがこれが出来るから良い」、と

親たちが言うのを聞いてきた。

 

実際、

「どの障害が良い」なんて、

僕には言えない。

 

ただ、

「歩けない」より、

「歩けた」ほうが良い。

 

「話せない」より、

「話せた」ほうが良い。

 

「トイレが解らない」より、

「解った」ほうが良い。

など、

いろんな言葉を聞いてきた。

 

そのことは、

「かわいそう」「羨ましい」、

と、

関わる中で「大変さ」を感じるからだろうと思う。

 

でもそれは、

「本人たち」が、

自分の心や、考えの中で、

自分なりに解っていて、

悔しい、のだ‼️

 

「無い物ねだり」

「できない物ねだり」が、

あっているかもしれない。

 

そんな気持ちをもっての「言葉攻め」や「文句」に心が晒されるより、

「自分の身体」を、

とりあえず「受けとめて欲しい」と、

感じるのです。

 

なぜ、

「受けとめる」

と、

敢えて書いたかと言うと、

「受け容れる」という事は、

「難しい」からです。

 

41年間「障害者」として生きて、

「この身体」しかやったことがない僕でも、

完全に受け容れて無いのです。

 

あれができたら、

「やってもらえる」とか、

「やってもらえない」とか、

考えなくても良い、

思わなくても良い❗️

 

身体に対しても、

人の考えに対しても、

「諦めが肝心」と言う人も、

言葉もある。

 

でも、

それができれば、

やっている❗️と、

心から叫び続けている。

 

結局、

「ありのままの身体」や気持ちを「認識」「理解」をしてもらえないことが、

「一番の大障害」

なのです。

 

もし今自分が、

「障害者」と言われるようになったなら、

「どう思うのか?」

「感じるのか?」

「受け容れられるのか?」

「割り切れるのか?」

いろいろな言葉があると想います。

 

「悩まなくてよいことを悩む」

「心が苦しい想いをしなくて済むのに、苦しい」

 

このような事は、

「問題提起」や「人の考え」に対する「変化」が起きる時、

「求めたい」時、

には有効なのかとも想う。

 

なんと❗️

生き辛い世の中、なんだろう…………

 

毎日、

「同じ問題」「行為」の中で、

「我慢」や「堪える」ことを、

しなくちゃいけないのだろうか⁉️

 

そのことを「憤る」だけでは、

なにも始まらない。

 

人の人生は堪えることもある。

 

でも、

「堪える」や「我慢」や「苦しみ」ばかりでは、

生きていけない。

 

それでも、

明日は来る。

ある意味、

来てしまうのです。

 

こんな、

「悲観的」になってしまう自分が、

いつも心に居る。

 

デイサービスにも行きたくない❗️

でも、

本当に行きたくないわけでは無い。

 

行きたくて、必要でも、

でも、

心が苦しくて。

 

僕の予定は大勢の人に「支えられて居る」。

だからこそ、

簡単には休めない。

 

それは、

人の気持ちを感じてしまう。

と、

想って居る。

 

僕は毎日、

人の心と向き合いながら生きて居る。

 

厳しい言い方をすれば、

生きて生なければならない。

 

「障害者」も、

「健常者」も、

苦しいことには変わりは無いのかもしれない。

 

「障害」から逃げたい、

好きなことを思いきりやりたい、

と、

「心の嘆き」で苦しむ自分が居る。

 

「前向き」に考えられない今、を、

 

生きて居る。

 

夢未来❣️ 004 ブログへの想い(2018.04.01)

❣️ブログへの想い❣️

もう

ブログを始めて1ヶ月が経った。

 

もう

みなさんも知ってのとおり、

代筆者が居ます。

 

これから何を描くのか❓、と

思うかたもいるかもしれません。

自分にも、

先は判りません。(笑)

 

でも、

5つくらいの話を建てて生きたいと、

考えました。

 

1.福祉に対する想い

2.未来を考えること

3.自分を曝け出すことに挑戦すること

4.趣味などの好きなことも描くこと

5.良い意味で、話す、考えるブログにしたいこと

 

この中での、

3について、

少し、

お話しさせてもらいます。

 

自分の「生活」「身体」について、

正直に描きたいと思います。

 

時に、

そこまで描くの⁉️

と、

良いの⁉️

と、

読んでくれるみなさんに伝えて生きたいと

想います。

 

ぼくのブログの記事は、

レポート用紙4~8枚までで、

今のところ書いています。

 

「できている」が正しいかもしれません。

 

描きたい内容を5つにしたのは、

「福祉1本」だと、

描いている自分が、

「疲れ」を感じてしまうと、

考えたのです。

 

描いている自分が、

描き終わった時に、

「疲れ」は良いけど、

描いている時は、

「楽しさを感じながら描く」をテーマにしたいのです。

 

でも、

「福祉」「介護」「気持ち」が、

大きな柱の1本。

「大黒柱」にはして生きます。

 

ぼくは、

野球が好きです。

野球には、

「キャッチボール」があります。

 

ぼくは、

インターネットの世界に、

「一方的」に、

記事を描くことになります。

でも、

自分の気持ちを届ける

「キャッチボール」をして生きます。

 

ぼくが「何を描きたい」のかが、

「重要」だとは想っています。

 

「何が描けるのか⁉️」

「どう描けるのか⁉️」は、

自分でも判りません。

 

自分には、

「1つの作品」という程、

大きいものは描けません。

 

でも、

このブログを、

「一つの作品」にして生きます。

 

今回のこの1本は、

「hisoshiの筆休め」の1本にします。

介護とは何か❓013 hiroshiの福祉の考え方《8供1創》 (2018.03.30)

*hiroshiの福祉の考え方《8供1創》

 

さて、

今日もペンを取ってみようと思います。

 

今回は、

大きなテーマになると想うので、

話が跳んでしまうので、

よろしくお願いします。

 

先ず、

《8供1創》について描きたい。

 

1.共生(ともにいきる)

2.共有(ともにあって)

3.共感(ともにかんじ)

4.共助(ともにたすけ)

5.共動(ともにうごき)

6.共考(ともにかんがえ)

7.共育(ともにそだち)

8.共進(ともにすすむ)

9.創造(つくりあげる)

 

これを、

福祉を

「感じ」

「考え」

「生きて」

「想い」

続けた、

「自分の考え」なのです。

 

この《8供1創》は、

「言葉の口惜しさ」から産まれたのです。

 

日本の国家予算の30%台は、

福祉に使われている。

もちろん、

この予算は、

日本国民全員の為の予算です。

僕はそう理解をしている。

 

ただ、

この予算のことを、

「障害者、高齢者を面倒を見る予算」

言う人が、

僕の周り、結構居たんです。

 

「なんと酷い言い方だろう…」と想う。

 

「健常者の人」だって、

風邪をひけば薬局で薬をもらうでしょう。

「その時にこの予算は使うでしょ❗️」って、

反発を通り越して想ったことを言ったことがある。

 

誰が病院に入院しても、

使われるはずです。

 

「障害者年金」を、

「補装具や車椅子を作るお金に使う」って言い方もした人も居た。

 

この予算は、

「人を面倒見る予算」では無く、

「人が人らしく生きる予算」なのです。

 

僕にこんな風に言った人も、

いつ「障害者」になるかは判らない。

そんな時に、

「自分を有りの侭の身体で生きて生く」時には、

使うことになる。

 

僕は、

人はどんな身体であっても、

「有りの侭で生きる権利」が有る。

これは、

誰がどう言おうとも、思おうとも自由だけど、

「断言」を200%する。

 

その考えを言った上で、

今度は、

「人権」と「心権」に移ろうと想う。

 

人の考えはいろいろが有ると同じ様に、

「いろんな考え」が在っても良いと想う。

ただ、

人は、

人の話を肯定するより否定が強い人も居る。

肯定あるいは認める、ができなくても、

否定はしなくても良いんじゃ無い❓って想ったりする。

ただ、

否定に似て居るかもしれないけれど、

「ついていけない考え」も在る。

 

でも人には、

「言葉の自由」「考えの自由」は在る。

 

基本僕は、

人がしてはいけないこと、

ざっくり言うと、

警察に捕まる様なこと以外は、

認めても良いと想う。

 

人には「人権」がある。

 

「障害者」「健常者」「LGBT」の人たちなど、

もっと分類すれば沢山あると想うけれど、

今は思いつかない。

 

どんな立場に置かれても、

「自分の大切に感じる想い」は、

護ってあげたいし、

護ってもらいたい。

 

もちろん、

僕が受け止める側になっても同じだと、

想って居る。

 

「虐め」「差別」「区別」「虐待」は紙一重で、

相手がこの四つを想ってしまえば、

「成立するもの」だと想う。

逆に言えば、

「成立してしまう」のです。

 

「介護とは何か❓」を描いた時に、

「自分の望む介護」を認識してもらえずに、

「やってもらえない」。

とりわけ、

排泄介助の場面が顕著である。

ある意味、

「仕事を選ばれる状態」を、

「心権侵害」になって、

「心が苦しい」まま生活して生かなければいけなくなる。

 

この状態は、

「総て思うとおりにならないといけない」

というのとは違う。

 

「総て思い通り」=「わがまま」になってしまう。

僕の言いたいことはやってくれない。

認識、理解をしてもらえない。

 

解っていて、

決まりとしてやらないと想って居るかもしれないが、

頼んだ人の気持ちは、

何処に棄てられてしまうのかと想う。

 

その人に頼むということは、

1回、1日、1ヶ月の積み重ねの中で出来ていくものです。

 

僕はよく話すけれど、

自分が話すことは得意だけど、

「頼むこと」は、

「気持ち」も「言葉」も、

「言い辛い心」を持って居る。

 

hiroshiの考えの中で、

二つの信頼感、または、信頼という想いが在る。

 

1.心頼感(心頼る感覚)

2.信頼感(信じて頼る感覚)

3.心頼(心頼る)

4.信頼(信じて頼る)

この四つなのです。

1が生まれなければ2は生まれない。

2が生まれなければ3は生まれるはずも無い。

4には進めるわけも無い。

 

今これを書いていて、

涙が出てくるが、

ペンを走らせることにする。

 

「障害者」であるから、

頼まなければできないのに、

「自分の勇気の出した一言」から逃げる。

逃げて居る感覚は無くても、

自分、または相手に伝わってしまえば、

同じことになってしまうのです。

そうなると、

「言って良いのか?悪いのか?」

そんな心の中で、

言葉は言えなくなる。

 

この状況が生まれる中で、

「言えるんだから…」と言われても、

「それは無理だ❗️」と叫びたい。

というか、

「心が壊れる」「壊れていく感覚」が、

毎日在る。

 

人間はストレスを感じる。

ただこれは、

感じさせなくてよいストレスなのである。

 

しかも、

決まり事を徹底しているわけでも無い。

 

「やってもらえてる人」には、

「やらなければ煩い」からとか、

「文句が出ることが有る」からやる。

少なくとも僕にはそう見えるし、

僕のアンテナはそれを受信してる。

 

だったら、

「全員で全員のことをやろうよ❗️」と

言いたい。

でも、

言えば、

「やっている。」「やっているじゃないか。」と言う。

でもこれは、

本人に伝わらなければ成立しないのです。

 

今僕の中に在る「介護」は、

「都合の良い介護」だと想う。

 

僕がこのテーマを今描くのは、

子供の頃にも「逃げられた」。

虐めにも繋がった、

大人、子どもに関係無く、

その気持ちがあって、

続いていて、

その気持ちが強く出ると堕ち込んで、

気持ちが真っ暗闇を感じ、

「漂流状態」になる。

「人間不信」なところもある。

 

ただ大事なのは、

この状況は「創り出されている」のです。

 

私は障害者である。

このことは、

変わり様も、

替え様も無い。

選び様も無い。

だから苦しい。

 

でも僕は、

「障害者」を辞めない。

辞められないからでは無い。

「障害者」だからこそ、

今僕の周りに居る人達に逢えたからです。

「障害者」であるから、

「描ける気持ち」が在る。

 

これは、

僕が人生を「生き切る」うえでの一生を通した「仕事」だと想う。

 

僕は自分が関わる人、

関わってくる人に対して、

ある意味の「好き」になりたい、

「頼りたい」、「甘えたい」と想って居る。

また、

みんなを大切に想って居る。

 

明日4/1から新年度が始まり、

「新たな出逢い」と「希望」を持って明日を生きようと想う。

 

僕は、

この《8供1創》を考えた時、

「自分らしさ」「みんならしさ」で「生きたい」「行きたい」から、

心の中から「産まれて来た」のです。

僕はこれからも、

《8供1創》の意味を考え、

描くことで訴えて生く。

 

そして、

答えは出ないかもしれないが、

「真の共生社会」を創る一人に成りたい。

 

一人では何もできないこともある。

孤立もある。

一人から始まる、始められることもある。

仲間と共に歩き、

《8供1創》の考えも「新説」として根付かせて生きたい。

みなさんも一緒に考えてもらいたい。

 

とりあえず、今回はペンを置くことにする。

 

桜と辛夷(こぶし)の花が満開で、

春を感じて居る。

 

*代筆者(座敷童)からのお断り

◎hiroshiの執筆するスピードと、

ブログアップのタイミング、時節のズレを前提で、

このブログは進行しております。

hiroshi了承のうえでの進行を御理解くださいませ。

内容こそ御吟味願います。

 

◎また、

今回のテーマの振り返りとして、

「介護とは何か❓001」の再読も御願い致します。

 

よろしく御願い致します。

夢見来❣️ 003 身体に障害が在っても… (2018.03.29)

❣️身体に障害が在っても…❣️

 

hiroshiという人間には、

嫌だろうが、

受容できようができまいが、

脳性麻痺による四肢体幹機能障害」は付いてくる。

これは、

僕の「障害」の正式名称です。

 

これを略したものが、

脳性麻痺」と呼ばれて居る。

 

これを、

インターネットの世界で言うのは、

初めてです。

 

でも、

文章を描く時には、

「障害」は、

日々の生活よりは感じていない。

むしろ、

hiroshiの心や頭は躍動して居る、

と感じて居る。

 

この躍動が、

身体にも使えたらと、

刹那く想う今日この頃であるけれど、

それは、

hiroshiで産まれた以上無理で在る。

 

「描く」ということの中には、

自分にとっての「障害」は無い、

と自分でも感じ始めている。

そして、

そのことに改めて気づかせてくれたのは、

代筆者をしてくれて居る、

座敷童さんには心から感謝する。

これからも、

一つ一つ魂を入れた「話」「想い」を、

ブログにぶつけて生こうと想う。

 

そして、

留めることのできない溢れる言葉を、

「hiroshi語」

として、

ブログの世界で暴れさせたい。

 

hiroshiは、

スポーツでも自分なりに暴れて来たけれど、

一番自分らしいのは、

「話すこと」。

二番目には、

「描くこと」。

つまり僕は、

二つ目の「自由」と「武器」を、

手に入れた。

 

ちなみに一つ言うと、

僕は、

この文章を、

パソコンでは無く、

「手書き」で描いて居る。

パソコンだと、

身体に余計な力が入り、

体力を奪ってしまう。

だから、

ペン1本を持ち、

レポート用紙に向かって居る。

 

もうこの1ヶ月で、

15本〜20本近い想いを、

代筆者の座敷童さんに届けた。

 

なかば、

書き上げるペースに驚かれたりもする。

 

自分は、

ペースを決めていないけれど、

無理もしていないけれど、

こんなに速いとは思わなかった。

 

今hiroshiにとっては、

幾つもやって居ることはあるけれど、

「ライフワーク」に成った。

 

何を描こうと、

考える時もある。

けれど、

90%くらいの確率で、

「描きたいテーマ」や「文章の一部」が生まれて来る。

それを組み立てることが、

僕の「描く」という行為なのです。

そして、

この行為で、

「自立」に繋がったら良いかなと想う。

 

「描くことの自由」に気づいたことと、

「自分の中の言葉の海」を、

「舟」に載って進みたいと想う。

 

そしていつか、

その舟が、

「宝船」に成ったら嬉しく想う。

🌟ちょっと、四呼吸🌟言葉の伝わり方と捉え方 (2018.03.29)

🌟言葉の伝わり方と捉え方

 

言葉には意味が在る。

 

自分、

正直な思いを言いたい人に伝えられずに、

言い易い第三者に言ったら、

「愚痴になってしまう」、

と言葉が返って来た。

 

僕は、

言い易い人に想いを伝えたわけなのです。

 

何故直接ではなかったのか‼️

 

それは、

相手に対する、

自分の気持ちの言い辛い心が在る。

そこの大切を巧く言えない辛さは、

なかなか伝わらない。

というのが、

話した相手との「心の距離の遠さ」に繋がってしまうし、

繋がって居るのだと想う。

 

僕は、

「愚痴」と「想い」は、

「表裏一体」と考えて居る。

「愚痴」と想って聴いてしまえば、

その気持ちの一部しか覗くことができない。

 

ただ想いと感じ捉えてもらえたならば、

「言葉の深さ」、

「想いの深さ」、

に気づくことができていく。

そのなかで、

「言えない自分」が「言える自分」、

「聴く耳を持てない自分」が「聴く耳を持てる自分」

に成って生くと想う。

 

その関係を築く、

速い人、遅い人

居ると想う。

 

ただ、

巧く言えない気持ちを汲み取ってもらえたなら、

汲み取れたなら、

心は近くなり、

相談し易くなる、され易くもなると想って居る。

 

最近の会話のなかで、

「捉え方の大切さ」を考え、

相手に伝わり難い自分の言葉に、

「苛立ち」と「刹那さ」と「淋しさ」 の中で、

心が藻搔いて居る。

 

決して、

伝えたく無いのでは無く、

伝えたい。

本当に沢山有って。

 

一応、

いや多分、

言語障害が無いと、

150%判断されてしまって居ると感じる「自分の葛藤」は、

毎日在る。

 

この感覚は、

「障害の有無」には関係無いかもしれない。

 

ただある意味、

「伝えられること」から興きてくる、

「伝力障害」に苦しむ自分自心に悩みながら、

今を生きて居る。

 

そしていつの日か、

こういう苦しみから解き放たれたい自分が居る。

 

こういう状態を、

「認識」「理解」の中で、

「有りの侭の自分の言葉」を使えることでの、

「言葉の自由」

を持ちたいと、

心の底から感じて居る。