障害を抱えて生きて居るから言いたいhiroshiのことば

この身体で産まれて来た湧き上がってくる意味を思いつくままに伝えて生く

🌟想いのままに…2🌟 みんなで創ろうよ (2019.04.27)

🌟みんなで創ろうよ🌟

 

このブログは、

hiroshiと座敷童さんの協働作業でできていると、

何度かお話しましたよね。

 

hiroshiは「今」を描いています。

でも、

この記事ができて、

投稿されるまで、

「タイムラグ」があります。

 

でもこれは、

「タイムラグ」ではありません。

 

座敷童さんは、

hiroshiの想いと感覚を大切にしてくれながら、

分かり易い言葉に替える重要な役割を果たしてくれているのです。

 

座敷童さんも、

「今」を描いてくれていることを、

改めて言葉にしたいと想います。

 

さて今回はどんなお話かというとね、

hiroshiの行動は、

みなさんに支えられています。

 

hiroshiは、

このブログで、

「口演者」、または「文演者」、

だと想っています。

 

でも、

hiroshiの目標は、

「公演者」に成りたいのです。

 

でもその為には、

今のhiroshiの考えを、

伝え、感じ、聴き取るなどのことを、

して欲しかったりもします。

 

もちろん、

この3つのことは、

僕が、

みなさんを大切にしてやって生くべきことと、

考えています。

僕も、みなさんも、

気持ちのアンテナを高くして生くことが、

人それぞれの世界が拡がって生くのだと、

考えています。

 

僕は、

このブログで、

自分を出すことに拘っています。

 

そして、

僕のブログを、

みんなで育てて生きたいと考えています。

 

僕は、

考え、想いを、

ありのままやストレートに描く。

それを、

みなさんに、

読んでもらいたいのです。

 

僕は、

このブログを始めて2ヶ月も40〜50本のお話を描きました。

でも、

最初のころ、

何を描いたのか、

正直憶えていません。(笑)

どんなお話をしたのか、

どんな風に描いたのか、

なんです。

 

だから、

座敷童さんが、

ブログにデビューさせてくれた時に読むことが、

大好きになりました。

 

自分の書いたモノが好きなんて、オカシイかな、と

想うかたも居るかもしれませんね。

 

だけども、

その日、その時、今、を描くことを、

心の真ん中に置いて、

自分の言葉を言えたことは、

ある意味、

凄いことだと想って居るんです。

 

だって、

話の言葉って、

なかなか言え無いことがあるのに、

ブログでなら、

描けることもあるのです。

その時話す言葉は巧く言え無い時もある。

でも、

描く言葉であるなら、

心の奥にある言葉を言えることもあるのです。

 

僕は、

小さいことかもしれないけれど、

大きな意味のあるものを描いて生きたいと想うようになりました。

 

描きたい、言いたい、湧き上がる、という衝動は、

いつも強いけれど、

その他に、

描いたことからヒントが合って、

描けることもあります。

 

僕がこの2ヶ月の時の流れで、

変身したということかもしれません。

 

そんな感覚を覚えつつ、

毎日ペンを取り、レポート用紙に向かう日々なのです。

 

そして、

このお話を読み、

ニュアンスを壊さない漢字に直してくれる座敷童さんが、

居ます。

 

正体を明かしたいと、

心から想うのですが、

御本人様の強い願いで、

明かせません。

 

それにしても、

座敷童さんでなくても…と想うところもあるかとは思いますが、

これも、

御本人の意向なので、

認めていただければと、

hiroshiは想って居ます。

 

hiroshiにとっては、

心強い理解者であり、

パートナーです。

 

その代わり、

偶には、

次のお話を明かしたいと想います。

 

けれど今は、

浮かんで無いので言えません(爆笑)

今は、嘘つきで、

ごめんなさい😞

 

でもね。

みんなに約束を一つします。

 

みなさんのパソコンやタブレットスマホなどで見てくれて、

hiroshiの気持ちを込めて描きたいと想います。

 

そして、

hiroshiとみなさんで、

hiroshiのブログという子どもを、

育ててもらえれば、

嬉しいです。

 

よろしくお願いします。

 

また、

次のお話で、

会いましょう🐲

夢未来 ❣️ 010 みんなで町へ出よう‼️ (2018.04.26)

❣️みんなで町へ出よう‼️ ❣️

 

今回は、

こんなタイトルでお話します。

 

みんなで町に出るとは、

仲間と一緒という意味もあるけど、

一人一人という意味も込めています。

 

一人でお出かけしたこと無い人には、

出かける勇気が、

出せない、怖い、という気持ちや、

不安もあると想います。

 

1人といっても、

1人であれもこれもやるべきとは言いません。

 

最初、

何も知らないから出来無い。

そうであるなら、

解る人、

力を貸してくれる人、

誰なのか❓

教えてもらっても良いのです。

 

ヘルパーさんの力を借りても良いのです。

 

大切なことは、

出来無いことを責め無いことなのです。

 

何歳だからやって当然、できて当然、

などと、

言わ無いことが、

大切なのです。

そんな風に言われると、

やりたいという気持ちが無くなってしまうのです。

 

なぜこんな風に言うのか❓

それは…

私が経験者だからです。

 

自分が出かけてみたいと感じたのは、

20歳の頃でした。

 

その頃は、

ヘルパー制度やタクシーなどの社会的資源が充分でなかったことと、

なにより、

親の反対もありました。

 

そんなこともあり、

自分のやる気もしぼんでいったのです。

 

ところが、

時が経つにつれ、

「なぜ独りで動か無いの❓」

と言われる様になっていきます。

 

その時僕は、

こう想いました。

出たい時には反対したくせにと…

 

それで今になって、

「出かけてみなさい」と言われても…

 

怖さで5〜6年悩みました。

 

それで、

29歳の時、

動き出せたのです。

 

だから今、

「出来無い」「怖い」と想う人、

他人に任せるのが心配というお父さん、お母さんも、

誰も責めることは、

僕はしません。

 

では、

何をするのか❓

 

何故怖いのか?

不安なのか?

につきあって、

そこを共有して、

自信を持たせてあげることが、

重要なのです。

 

そのことで、

「やってみよう」という好奇心のタネを撒くこと、

撒いてあげることが必要なことなのです。

 

責めることからは、

何も生まれ無いのです。

 

家から出ること、

親以外と出かけることの楽しさを知ることが大切なのです。

 

制度やタクシーを使っていく中で、

覚えていけば良いのです。

 

前に、

グループホームのお話をした時に、

400人から始まり、

今では10万人以上の人が、

地域で暮らして居ます。

 

ヘルパーさんや、

訪問看護師さん、

ボランティアさんの力を借りて、

一人暮らしをしてる人も居ます。

 

私が子供のころ30年くらい前には、

デパートやスーパーには、

車椅子は珍しい時代でした。

 

それが、

現在においては、

デパートなどには、

車椅子で歩いている人は沢山居るのです。

 

ヘルパーの慢性的な不足は在ります。

でも、

一人でも多くの人が出かける社会の感覚も、

流れも、

考えも変わって来るんじゃないだろうか‼️

 

と、

毎日想う。

 

僕は今、

出かけることが怖い人、

子どもさんをヘルパーさんに頼むことが怖いお父さん、お母さん方に一言言うなら、

「子ども目線」で楽しい、を感じて欲しい。

 

そして私は、

外に出たくても出られ無い人が歩き始めるお手伝いを、

出来たら良いと、

心から想って居る。

 

みなさんも、

違う世界を覗いてみませんか❓

 

新しい世界を観ることで、

新しい自分に出逢ってみませんか❓

 

いくつからでも、

遅いということは無いのですから、

必ず力になってくれる人は居るのです。

 

自分で動くことが怖かったhiroshiの言葉でした。

 

さあ、

みんなで町に出よう❣️

 

 

 

介護とは何か ❓ 019 🌟頑張っている❓ということ(2018.04.26)

🌟 頑張っている❓ということ 🌟

 

みなさん、こんにちは。

1週間ほどペンを置いてみようと努力をしようかと想いましたが、

hiroshiには無理でした。(笑)

 

ブログタイトルに、

「湧き上がって来るもの」という言葉を付けましたが、

「湧き上がって来るもの」がいつも有ります。

 

さて本題に入りたいと想います。

 

みなさんは、

頑張っているって、

どう考えますか?

 

この歳になり、

誰からも大人と判断されるので、

自分から、

「頑張っている」、は

言わないことが多いです。

それが、

hiroshiの中にある、

大人、

という考えの一つでもあります。

 

でも今回は、

違うところ、に視点を置きます。

 

家庭でのことでは、

見えることしか、

頑張っている、

と判断をしてくれないことがあります。

 

ぼくは、

朝、

着替え、オムツ交換等を、

お母さんがしてくれます。

そして、

総ての身支度をした後、

ぼくは仰向けに寝て居ます。

 

問題はその後に有ります。

 

うつ伏せになるということが、

待って居ます。

 

ところが、

着替えているうちに、

コロコロして居るうちに、

身体がズレるのです。

そうなると…

身体を起こせないことが在ります。

それは、

チョットした身体の位置によって変わります。

 

でも、

今のhioroshiには、

「やってみなければわからないこと」になって居るのです。

 

こうなると、

「できること」ができなくなったと判断をされます。

 

「努力しない」‼️「甘えて居る」‼️など、

幾つもの言葉が、

鉄砲玉や弓矢の様に、

僕の心に刺さります。

時には、

怒鳴り声まで、

大砲が放たれるのです。

 

ぼくは、

自分が頑張って居る、

とは、

言わないことにして居ます。

 

それは、

人の判断や価値観で変わって来ます。

 

でも、

家族や親は、

自分の見えて居るところしか、

解らないのです。

 

でも僕は、

「頑張って居る」ということ、

言わない、

と言いました。

 

けれど、

頑張って居ることもあります。

 

1ヶ月の予定を組んだり、

家から離れて居る時の人間関係であったり、

 

その時々に起きること、

人の対処、対応、など。

 

そして、

一番大切なことは、

自分の生活を支えてくれる人への気づかい、

だと想うのです。

 

介護介助は、

人の身体では無くて、

心を扱うものと、

いつか描いたように、

利用者も、

人の心を扱って居ることは、

忘れてはいけません。

 

ヘルパー、

職員、であるならよりも、

「人として」どう大切にするのか❓

ということが、

なにより重要で、

それが上手くできたならば、

介護を受ける側、

介護をする側、

という分け方では無い、

「みんなの為の介護」という新基軸が生まれて来るのだと、

想って居る。

 

もっと簡単に言えば、

 

愛すれば愛される、

愛されれば愛せる、

ということだと、

言いたい。

 

だから僕には、

生きて人を思い続け生き抜くという「仕事」を、

命尽きるその時まで、

やることを心に誓い、

皆さんに伝えておきたいと想います。

 

最後に一言、

「頑張って居ること」は、

周りが決めることが、

大きいと感じて居る。

 

 

🌟想いのままに…1🌟真っ直ぐ人生(2018.04.23)

🌟 真っ直ぐ人生 🌟

 

ぼくの性格は、

良くも悪くも真っ直ぐなものだと想う。

 

野球で例えるなら、

ストレートしか投げることのできないピッチャーである。

 

これでは絶対150%打たれるのです。

 

カーブやフォークの様な変化球を投げて、

緩急つければ、

良いピッチャーになれる可能性はあるかもしれない。

 

少し話は逸れるけれど、

ぼくは、

野球選手になりたかった。

年俸1億で、

巨人ドラフト1位と騒いでいたことを、

昨日の様に思い出すが、

この夢は、

小学校の時なのです。

 

その後、

政治が身近なモノだったので、

政治の道に進みたいと想っていた。

 

しかし、

残念ながら、

二つの夢は叶っていない。

叶えられなくて当然だ。

障害者なのだから、

と思う人々がほとんどなことは感じられる。

でも、

だからこそ、

今回、

叶えなければいけないと想う。

 

いつかの話で、

福祉を考え始めたのは13歳と描いたと想うけれど、

それは、

こんな風になれば良いな、

という風に想い始めたのです。

 

その後、

10年以上の時過ぎて、

30歳になった頃、

いろいろな制度を使って、

遊びながら勉強していった。

 

そういう行動の中で、

制度の物足らなさや、

こういう制度があれば良いと想う様になっていった。

 

皆それぞれ、

感じ方、想い方、あるいは勉強の仕方で、

自分には成長力が有ると、

心や頭の何処かで信じて欲しいと、

声を大にして、

私は言いたい。

自信が無い人も、

等身大のあなたを認めてくれる人は必ず居る、

と信じたい。

信じて欲しいと想って居る。

 

それでも、

自信が持て無い人が居たならば、

この一言を贈る。

 

「人間のスタートに、

遅いという文字は無いのだ。‼️」

 

自信が無ければ、

今を一所懸命や一生懸命に生きることで良い。

特別なことは最初からできないし、

やるべきでも無い自信や目標は、

自分が生きて居るということで、

自信になって生くと想う。

 

事実ここに、

自信を持ってた自分が居る。

 

だから、

自分の想いと力は大切、

ということは、

キッチリ話させて欲しい。

 

制度は、

自分で感じて欲しいと想う。

解らないなら、

ということは、

誰にでも聞けば良いし、

 

ぼくに、

聴いてくれても良いと想って居る。

 

そしていつか、

誰に教えてもらったにしても、

聴いた人が伝えられ人、

伝道師になってもらえればと想う。

 

それが、

障害者も健常者も関係無い、

という気持ちの証明と言っても良いと想う。

 

「1億総活躍」と言わずとも、

男女共同参画」としなくても、

日本の心の新時代の幕開けになると想う。

 

そして、

そのことこそが、

「人間活躍社会」と言っても過言ではないだろう。

 

新時代、新基軸は、

切り開きたい。

 

皆で力を合わせながら切り開きたいと想って居る。

 

これが、

私の「真っ直ぐ人生」と言って、

今回はペンを置きたい。

 

また次の話で会いましょう。

 

 

🌟ちょっと、九呼吸 🌟 言葉にすること(2019.01.03)

🌟 言葉にすること🌟

 

みなさん、

こんにちは。hiroshiです。

 

今日も、

hiroshiの言葉に付き合ってもらえたら、

嬉しいです。

 

今日は、

言葉にすることを話していきたいと想います。

 

さて、

人には、

話が上手い人、下手な人、面白い人、面白く無い人、

いろいろ居るのだと想いますが…

 

今日は、

タイプでは無くて、

言葉の通じ方、

取られ方を話したいと想います。

 

hiroshiは、

昔から、

よく喋ると言われています。

本人でも、

そんな感じには想っています。

 

けれども、

二人の人が同じことを言った場合、

一人の人の話は伝わった、

または、

伝わって居ると感じても、

hiroshiが言うと、

伝わらない、伝わっていない、

と想うことがよくあります。

 

話せることが200%、

解ることも200%できる、

と人に理解されて居るhiroshiにとって、

伝わらない、

上手くいかないのはなんでだろう❓

と考えたり、

どうして❓

と思い悩むことが多いのです。

 

これは、

趣味や好きなことにしても、

感じることがあります。

 

例えば、

アニメやキャラクターが好き、

と言ったら、

その歳で、とか、

大人なのに…なんてよく言われます。

 

別に、

人の反応なんて気にしなければ良いのだとは想うけれど、

返って来る反応が、

ぼくの心には辛いのです。

 

だからと言って話をしなければ、

「話せるでしょ❗️」といわれることは、

当たり前のように、

言葉が返って来ます。

 

ここまでなら、

ブログを始めた頃に沢山描いて来ました。

感じ取って欲しい、

と沢山描いて来たのも、

ぼくが人と話をしていく上で、

何を、どう言う意味で言われて居るのか❓を、

職人が観て盗むことと同じ様に、

感じることが、

なにより大切なのだと、

いろんな人に教えてもらって来たからなのです。

 

だからこそ、

一人の人の言葉、

特に伝えたいことや価値観については、

ありのままとか、

純粋という感覚を大切にしたいと想うのです。

 

こういうカタチや関係ができていく、

そうであるからこそ、

言って居ることの意味が伝わるのだと想う。

 

人に伝える、

モノを言うという勇気のいることが、

意味を持って来るのだと、

いつも想っています。

 

身体に障害を抱えているがゆえに、

理解できる頭に注目をされ過ぎていると想う、

この頃です。

 

でもこれは、

hiroshiに限ったことでもなければ、

障害の有無なども関係無いのかもしれない。

 

でも、

なんとなく、

伝わり辛さは、

生きて生く辛さに繋がっていると、

いつも想う。

 

そうであるなら、

自然と言う意味での環境問題だけでは無くて、

「言葉の言い易い精神的環境」と言う意味の環境問題も、

とても大きい意味を持っていると、

最近強く感じていることの一つです。

 

みなさん、

テレビで見る人もあるかと思いますが、

清水寺で、

「今年の文字」というのがあるけれど、

hiroshiの中では、

言う、聴く、伝える、解る、

を一つの文字が浮かんで来ています。

 

ぼくは、

自分が大切にしたいこと、伝えたいことは、

これからも、

描き続ける、言い続けるということは、

していこうと想う。

 

でも、

その反対側から観れば、

言葉の言い易い環境が創れたならば、

人々が、

自分の言葉、自分の感性が、

自然に受け止めることの環境は整うと想っている。

 

ただ現実として、

想うことしか出来無い状況が、

とても寂しい気持ちになる。

 

これからは、

「言葉の環境」にも、

心を使いたいと想う。

 

夢未来 ❣️ 特別編続き 2019年の目標 (2019.01.02)

❣️2019年の目標❣️

 

こんにちは、hiroshiです。

 

突然ですが、

hiroshiは、

今年の目標を立てました。

それは…

 

自分の時間を創ること、です。

 

なんだ、

その自分に甘い目標は…と、

ツッコミを入れてくれたみなさん、

あなたは正しいかもしれません。(笑)

 

なんでこれが目標なのか❓

 

それはね、

朝起きて、

デイサービスに行って、

夕方帰ってきて、

書き物をしたり、

一休みしたり、

ご飯を食べたりすると、

自分の部屋に戻るのが、夜の9:30くらいなのです。

 

ちなみに、

夕方の書き物には、

ブログは含まれていません。

 

ドラマは録画しても見る時間が無い。

ダビングしたらほとんど見ないことになるし、

本やテレビ、ユーチューブなんか、

自分の好きなことをしていると、

夜12時を過ぎています。

 

だから、

睡眠時間は平日4〜6時間で動いています。

 

家族にしてみたら、

hiroshiは自分のことしかしていないから、

常に遊んでいると、

よく言われます。

 

そう思われていても、

自分の時間ってつくりづらいのです。

 

よく、

時間は有るモノでは無く、

創るモノと言われてきました。

 

ぼくがいつも心がけていることの一つに、

もし友達が今話したいと言ったなら、

その気持ちは、

大切にしていきたいと考えています。

 

でも、

自分の時間の使い方、創り方は、

すごく下手なhiroshiなのだと想います。

 

時間が創れる、使えるというのは、

タイミングも大事かもしれません。

 

あとは、

その日によって、

やることを分けるのも一つの手段なのかな、

と想ったりもしています。

 

自分のできることは、

その日のことはその日のうちに、

と想ってやってきました。

 

けれど今年は、

その考えを変えられたらな、

と想います。

 

とりあえず、

これを書き終わったら、

ユックリテレビでも見ることにします。

それではまた、

読んでくださいね🤗

 

 

 

夢未来❣️特別編 2019年も頑張ります‼️(2019.01.01)

❣️2019年も頑張ります。❣️

 

みなさん

新年おめでとうございます。

今年もよろしくお願いします🤗

 

さて、

2018年のhiroshiの一番大きい自分のできごとは、

このブログを始めたことです。

 

そして、

自分の気持ちや考えを言ってきました。

 

221本描かせていただいて、

28本のお話を投稿させていただきました。

 

そしてなにより、

2,200を超えるアクセスをいただきました。

 

なぜ、

年の初めに、

数字からスタートしたかというと、

この三つの数字は、

皆さんと積み重ねて来たモノだと想っているからです。

 

伝えたい想いが有っても、

読んでくれる人が居無ければ、

文章はただの言葉になる。

 

ぼくは今、

ブログに載っている話で、

hiroshiという人間が、

どんな人なのか、

または、

知っている人にも、

こんな想いがあるの…?

という様なところを伝えて来たと想っています。

 

その中で、

多くのアクセスを貰えたことが、

なにより嬉しいことです。

 

hiroshiは有名ではありません。

 

でも今、

1本の話を書き綴っている時に、

どんな人が読んでくれるのだろう?と、

楽しみでたまらない時があります。

 

horoshiは、

今年も、

みなさんと話のできるブログをやって生きたいと想っています。

 

去年何本描いたから、

今年何本描こうとも決めていません。

 

何を描きたくなるのかも判りません。

 

でも、

たった一つ、

大きな目標にしたいこと。

 

どんな繋がりでも良いから、

たくさんの人に、

このブログを知って欲しいということです。

 

 

You tubeでは無いので、

チャンネル登録者も判りません。

何人の人が知っているのか?も、

判りません。

 

今描こうと想っているモノ、

描きたいと決めたものに、

必ずhiroshiらしさを出せる様な話ができたらと、

想います。

 

いつどんな時でも、

hiroshiは、

日本の何処かで生きて居る。

 

そして、

発信を続けて生くことに、

変わりはありません。

 

生きて居ることは、

あたりまえでは無い。

生きて生くことも、

あたりまえでは無い。

 

生きたくとも生きられない人も居る。

生きることを、

諦めてしまう人も居る。

または、

そうなってしまう人も居る。

 

いろんな理由が在ると想います。

 

だからこそ、

hiroshiが生きて動き続けて、

描き続けて居ることを届けたいと想います。

 

2019年、

平成の終わりと新時代の幕開けと成るこの時間も、

みなさんと歩きたいと想っています。

 

最後になりましたが、

hiroshiを支えてくれて居る、

総てのみなさんと、

その家族の方々が、

幸せな一年になることを、

心から願っています。