障害を抱えて生きて居るから言いたいhiroshiのことば

この身体で産まれて来た湧き上がってくる意味を思いつくままに伝えて生く

🗝介助識 その2 🗝 hiroshiの身体 その2 (2018.04.21)

🗝hirishiの身体 その2 🗝

 

ぼくの身体は、

何をするにも、

緊張がある。

 

できることをやっていてもである。

 

できること(食事、着替え、上着の脱ぎ着など)、

移動(床の上を這うこと)、話すことにも緊張はついてくる。

 

定食に付いてくるサラダの様に、

サラダは美味しいけれど、

緊張は迷惑なモノでしかない。

 

このブログの記事も、

パソコンで自力で描いたなら、

レポート用紙3〜4枚で、3〜4時間、

または、

2〜3日に分けて描くことになるのが現実だと想う。

 

でも、

左手でペンは持って、

一応書けるので、

レポート用紙なら1時間弱で3〜4枚は書いたりできる。

これはぼくには、

速いことだと想って居る。

 

だから、

時間がある時は2〜3タイトル、

レポート用紙10枚ていどは、

2〜3時間で書いたりできる。

 

今ぼくが描いてる記事は、

2〜3日後に、

手紙として、

たまに届く牛乳の様に届いていることになる。

 

だから、

座敷童子さんの祠(ほこら)には、

手紙の茶封筒は、

山になっていると想像できる。

 

でも、

座敷童子さんは忙しいので、

投稿ペースはお任せです。

 

自分で投稿したなら、

描きたいことの四分の一くらいだと想う。

 

食事、トイレ、着替え、移動、お風呂は、

一人で総て出来無い。

 

でも、

レポート用紙に書き記すこと、

封筒に入れることはできる。

 

これは、

できることとして確立できている。

 

でも、

切手を貼り、

ポストに入れることは、

人に頼む。

 

自分の身体でできること、

でき無いことの境界線が解らない。

できるというのも、

出来無いと決めるのも、

人の見方や感じ方によっても、

変わってくる。

 

だから、

今できること、

できると解ることをやっていることになる。

 

さて本題に戻ることにする。

 

緊張は、

薬である程度コントロールはできる。

 

ただ、

薬は悪いこともしてくれる。

 

自分でできることをやるための力も奪ってしまう。

 

あちらが立てば、こちらが立たず、なのです。

 

でも、

この身体で生きて、付き合っていくしかない。

 

どうせ付き合うなら、

人の方が良いなと想う。(苦笑)

 

出来無いコトもカタチを変えればできるになる。

 

二足歩行ができないなら、

車椅子で歩けば良いのだ。

 

前にも描いたけれど、

モノを使わなければいけないのでは無くて、

使えばできると考えられれば良いことなので、

そこには、

自分の考え、

ある意味の勇気と周りの理解と認識に依って、

変わる。

 

だから、

ユックリ考えたり、

変わっていけるのなら、

変わっていけば良いと想う。

 

ただ考え方を変えろ、

変われ、

解れ、

など、

人の心を矯正や拘束なんかは、

意味が無いと想う。

 

だから、

今のぼくは、

出来ないことが増えてきている。

そのことを、

出来なくなった、

やらなくなった、

と言われたりしてきた。

人から観れば、

現実を言っているのかもしれない。

 

ただ心においては、

マイナス効果が強くなってしまわないだろうか❓

 

だからぼくが今、

自分として考えて居ること。

それは、

出来無いことの中にも、

工夫や人の考え、理解、認識などが融合したなら、

できることも産まれると想う。

 

だからぼくは、

諦めているわけでは無いことを、

書き記すことにする。

 

この記事を描くと決めた最初の内容とは、

少し違ってきてしまったと想うけれど、

また描きたいと想った時に、

新しいモノを描きたいと想う。

 

今日は、

これでペンを休ませようと想う。

 

 

 

🌟ちょっと、❤️呼吸の始まりの続き🌟 タイトルは書か無い(2018.04.13)

🌟 タイトルは書か無い 🌟

 

6日ぶりにペンを取ります。

 

今日、

ブログの記事が産まれるまで第二弾を、

お話ししたいと想います。

 

タイトルは書か無い、と言うタイトルをつけたのは、

描きたいことが浮かんで、

タイトルだけ控えていたから…

 

いざタイトルを観たら、

描きたいことを忘れて居ることがほとんどなので、

思いついても、

タイトルは書か無いのです。

 

その代わり、

今描きたいことを優先にしたのです。

その方が、

描きたい気持ちを大切にできると気づいたのです。

 

20本以上書いて来ると、

自分の描き方が見えて来た。

 

湧き上がったモノは、

新鮮だから、

描き易い。

 

構想を練って描きあげるものは、

燻製の様に創りあげます。

 

練り上げた文章は、

忘れる可能性を持っている。

だからこそ、

新鮮で、

ある意味で、

「今」を描く。

今を言うことにして居る。

 

今、は、

過去の積み重ねです。

でも、

その積み重ねが今に成り、

こうして一つの原稿、

いや、

想いが産まれて来るのです。

 

描き手として大切なことは、

一つ一つ大切に気持ちを描くこと。

そして、

代筆者で在る座敷童子さんに、

自分の力のこもった1本を、

インターネットの世界にデビューさせる。

これが、

記事ができるまでのことです。

 

「介護とは何か❓」は、

重いテーマかもしれません。

ある意味において、

これほど重くて大切なテーマはないと想っています。

 

これは、

介護、介助、手助けを、

受けて居るから、

描くことではありません。

福祉はみんなのモノ、というブレ無い考えを描く、

その一点で描き続けて生きます。

 

座敷童子さんの力を借り、

自分の言葉を伝える。

座敷童子さんと自分が大切だと考えることを、

社会に問うこと。

これはある意味、

「二人の挑戦」と言っても良いのです。

 

きっと、

今描いた二人の想いという言葉を、

受け止めてくれて居るからこそ、

僕の世界、僕の意見は、

皆んなに見えるのです。

 

こうして僕は、

今を描けるのです。

今を「描ける」は、

ある意味、

「駆け」抜けることも含まれて居ます。

 

そしてなにより、

僕のブログを観てくれて居る人が居ることを、

実感をして居るからこそ、

この1本、あるいは、

次のお話が産まれます。

 

ありのまま、と、今を生きる、未来を共創、

を大黒柱にしながら、

自分の子どもであるこのブログを、

皆さんと育てたいと想います。

 

ティータイム(ちょっと、○呼吸)は、

ユックリ味わいながら、と想って居ますが、

未だ慣れて居無い様です。(笑)

 

いつの日か、

皆さんに、

ユッタリと味わえるティータイム(ちょっと、○呼吸)を、

お届けしたいと想います。

 

美味しい心のケーキと共に…

 

夢未来❣️ 007 アンテナが高いと言ったこと(2018.04.15)

❣️アンテナが高いと言ったこと ❣️

 

ぼくは、

この前に描いた話で、

自分はアンテナが高いと言った。

 

これはなにも、

他の人が、

アンテナが低いと斬り捨てたわけでも、

バカにしたつもりも無い。

ただ自分で、

オゴリ、高飛車なところもあるように想う。

 

言い訳になるかもしれないが、

自分の心の中を説明しようと想います。

 

わたしは、

18歳〜29歳に親の会社に居た。

周りは15歳〜20歳も年上の人ばかりの環境に居た。

 

その中において、

大人に必死についていく、求められること、

が多かった。

だから、

背伸びをしたこと、

ある意味せざるを得なかったところもあった。

 

親が政治の世界に居て、

人のことを考えて当然、

とも想って居た。

 

その感覚の中で、

人の気持ち、想い、も感じるには、

アンテナを高くしなければいけないと、

自分に求めたところもあった。

 

ただそれは、

良いことばかり生んだわけでもなかったと想う。

人の考えを聴けずに、

馬鹿にする意味も持って居た。

 

それが、

人の心を傷つける原因にもなったことも、

今現在もそんな一面は、

有るのだと想う。

 

ただそれを、

ワザとやったわけでは無い。

 

ワザとなら、

「心の犯罪」になってしまう。

 

その上で言うなら、

自分の周りには、

同年代の人が少なく、

ある意味、

切磋琢磨や一緒に感じる、

一緒に大人になっていくことができなかったことが、

一つの原因で、

逆に、

等身大の自分で居る仲間、友だち、同僚が無かったことが、

自分は人の気持ちが解ると、

人の感覚を下に見ていたところもある。

 

だからこそ、

人に対する求めるものが、

強かった。

 

自分の気持ちに立って良いならば、

自分も、

同年代の人たちと一緒に、

大人の階段を昇ったりしたかったと想っているし、

今も感じて居る。

 

ある意味、

結果を求められれば、

人に厳しいこともある。

 

その代わりと言ってはあれだが、

自分も人の近くに居ること、

解ること、感じること、

をテーマに置いてきた。

 

ただこれは、

簡単ではなかった。

人に言われても、

自分のプライドが優先だった。

 

でも、

心の中でわかろうとしていたり、

自分の気持ちとの葛藤と格闘があった。

 

でもそれは、

人には見えないことなのだと想う。

だとしたら、

どうしたなら、

この気持ちを解るように、

カタチとして出せば良いのだろうか❓

 

残念ながら、

今の自分には、

そのカタチも答えも見つからない。

それこそ、

これからの人生の成長の課題なのだろう。

 

その上で、

自分の情熱、想いの先行の強さによって、

人の気持ちや考えを認め、

感じられなかったことは、

申し訳なく想う。

 

申し訳ないと言う一言で片付けてはいけないと、

心に染み込まさなければいけないと想って居る。

 

自分も辛い、苦しい、もあった。

自分にできること、解ることは、

当然できる、やって当たり前、できて当たり前、になっていた。

これは、

人の良いところ、人の色を消してしまう。

 

いろんな色が有り、目標が有ると、

「レインボードリームスの設立編」に描いたけれど、

 

逆走の道を進んでしまった。

 

自分の色を認めて欲しいならば、

人の色も消してはならない。

 

なによりも、

自分の想いを解って欲しいなら、

それは、

相手の考えも知ろうとすることが大切なのだと、

人の言葉で教えられた。

 

そのことを、

簡単に、

解る、飲み込む、染み込ませるは、

出来無いことだと想う。

 

でも今、

教えとして感じたなら、

明日と自分の未来を信じて、

謙虚になり、

歩いて行こうと想う。

 

 

 

 

😤雄叫び 😢 一人でもよいこと、そうはいかないこと(2018.04.14)

😤一人でもよいこと、そうはいかないこと😢

 

人は、

一人でも、

認識、理解、共感、をしてくれたなら、

孤独から解放され、

幸せを感じる。

 

そんな感情を持つことができる。

 

ところが、

それと言うものは、

人の感性の豊かさや、

心の余裕や、

観察眼、察知するアンテナの高さになると想う。

 

特に、

人と相対する介護の世界において、

コミュニケーションとして最重要であり、

最重要課題の一つである。

 

今僕は、

自分の言葉が話せていない。

 

過去の記事の中で僕は話せる、

と書いた。

その能力、または特技や好きなことを失ったわけでは無い。

 

話せる、理解できると思われているから、

会話としての言葉は出ているから、

言ってこない、言いたく無い、甘えているなどと、

感じているのだと想う。

 

しかしこれは、

僕の感じる雰囲気、感覚で想像しているので、

実際の答えでは無いかもしれない。

 

でも、

答えは幾つも在るから、

その一つにすぎないかもしれない。

ただ自分の感覚では、

この感覚で捉えている。

 

そのことによって、

デイサービスという共同生活から、

「建物」から出て行ってしまうのです。

 

だから、

周りには、

「出て行った」「いつか帰ってくる」「勝手なことしてる」など、

ある意味、

「信用」、「しっかりしている」と思われる。

思ってくれているからこその放任主義と言ってもよいのかもしれない。

 

ただしこれも、

前述したとおりの自分の感覚である。

でも、

自分の心で起きていることは、

違う。

 

いくつか理由を書いてみる。

1.少し空気を吸いたい。

2.難しい時、流れについていくことができない。

3.自然に出て行ってしまう。

4.寂しさや孤独を強く心に感じている。

5.総てがイヤになる。

 

何かイヤになってしまったことが在っても言えない。

そんなことが起きていても、

観ていない、見てくれない、気づいてくれない、

などがある。

 

前述した五つの要素のうち、

1と2は、

自分の意思でやっているから、

安心な側面はある。

ただ、

3.4.5.に切り替わってしまうことがある。

そうなると、

自分のコントロールがし辛い。

聞かないということになってしまう。

 

時間がよめないわけでは無いから、

勝手なこと、自由なことにしかならないのです。

 

でも本人は、

葛藤の連続毎日を送っている。

 

解っている、理解できるからこその葛藤も在る。

逆にコントロールし辛い自分も居ることを、

知って欲しい気持ちも強い。

 

こんな風に描けるなら言えるのだから、

言えばよいだろうと思う人も多いだろう。

自分でもそう想うところは在る。

 

でも、

 

やらないのでは無く、

言えない、ので在る。

 

それは今、

一緒に居る職員との信頼関係の喪失が、

原因で在る。

ただこれは、

今起きたことでは無い。

 

日々の心のズレが、

大きな溝を生んでしまった。

できてしまったというのが、

本当のところなのです。

 

これは、

ブログのその一に描いたところも、

大きな原因の一つである。

 

言えること、話せること、理解できること、

への一面しか見てもらえない悔しさと、

伝えられないモドカシサと、

言えない弱さ、もあると想う。

 

ただこれは、

自分の自慢のなってしまうかもしれないけれど、

僕は、

心のアンテナの高さが在る。

感じ取る 

空気を読むことを、

中心に生きてきた。

 

それゆえの、

感じ過ぎ、読み過ぎができてしまうから、

やってしまう、

やるしかないを生んでしまっている原因の一つになってしまう。

 

言わない、

言えない、

大きな原因。

それは、

これ以上、

「心のズレ」を生みたくないことと、

もう一つ、

言うことによって、

文句と取られ、

憎まれる、

嫌われる、

を産んでしまう。

 

そのことで、

ますます、

心の居場所を失くすこと。

 

言ったことによって、

嫌われた、

憎まれた、

ことが在る。

 

実際、

今僕が居るデイサービスで有ったことである。

 

学校でも有った。

 

これは、

心のイジメ、

心の差別を産む。

 

なによりそのことの最大の原因は、

 

支援をする側が、強者、

受ける側が、弱者、

という、

風潮に在る。

 

それゆえに、

ある意味の、

言葉の自由を奪ってしまうこともある。

 

嫌われたくない、から、

自分の言葉を言わない、

言いたく無い。

良い人、

可愛い人で居れば楽だし、

そう居るしか無い環境、関係が産まれる。

 

「黒い卵」が、

 毎日産まれる。

 

だから、

心配をして貰える、サポートをしなければいけない、

と職員が認識、理解を持って貰える人なら、

組織、グループにおいて、

心の居場所は、有る。

 

僕は、

「しっかりしろ❗️」と言われることが有る。

これを言った人、

今まで言われたことも、

沢山有る。

 

僕は僕なりに、

「シッカリして居る」つもりで居る。

僕の心にこれ以上「大きな穴」を作って欲しくも無いし、

創りたくも無い。

 

だからこそ、

「放って置かれる感覚」は、

欲しくは無い。

「観てくれている」という安心が、

欲しい。

 

そして、

そう人に感じさせることが、

「楽しいデイサービスの条件」で在るのです。

 

もちろん、

人には多種多様が在り、

いろんな考えは有るし、

有って良いと想う。

 

ただ総ての利用者を、

安心させる、

孤独にしない。

これは、

なんとしても、

護って欲しいと想う。

 

そして、

このことは、

何をやるにしても、

大切で、

僕が最も大切にしている。

 

介護とは何か❓ 018 *福祉について考える様になったとき(2018.04.21)

*福祉について考える様になったとき

 

僕が、

福祉や、障害について考える様になったのは、

13歳の時だった。

 

僕の介助は、

お母さん頼みである。

 

でも、

ある時喧嘩をした。

 

それまで、

僕とお母さんは、

一心同体だと想っていた。

これは、

お母さんの考え方です。

 

僕もそう想っていた時期はあった。

しかし、

自分でも気づかないうちに、

自分の考えも生まれていたことに気づいて、

 

「僕にも考えが有るんだよ。」

と、お互い泣きながら、

この言葉で爆発したことを、

昨日の様に憶えている。

 

それから、

障害、福祉、を考えるようになった。

 

大人になって制度を覚えて、

もうちょっと変わらないかな、

とか、想うようになっていったのです。

 

実例を出すと、

今僕は、

遊び、通院、デイサービスの車までの、

家からの送迎などで、

100万以上の支出であるけれど、

タクシー券」と呼ばれる交通費の助成は、

24,000円なのです。

この補助も、

市の財政に因って変わるのです。

 

これでは、

焼け石に水」の部分が大きい。

 

これでは、

「障害者」も活動的に、

と国は言うけれど、

これでは、

「障害者閉じ込め社会」である。

 

「1億総活躍構想」の中には入れないことになる。

 

だから僕は、

「一所賢明」に生きているだけなのに、

「お金かかるね❗️」と言われることが、

酷い時には、

毎日在る。

 

他にも、

オムツ代など、

いろいろある。

 

だからこそ僕は、

活きたお金を使うことを、

頭のど真ん中に置き、

日々を生きて居る。

 

その一方では、

ショートステイを使うことで、

50万円くらいの削減にはなっていると想う。

 

50万円とは、

年間の数字です。

 

その他の収入が有ったにしても、

マイナスなのです。

 

だから、

仕事をしたいと想う。

 

「財政の黒字化」は国も言っているが 、

hiroshiが解っていても、

できないこと、の一つなのです。

 

だからこそ、

「活きたお金」の使い方で、

自分は生きて、

活きたお金で、

活力のある行動をして生きたいと想う。

 

誰もが活躍をするべきと言うなら、

「障害者」も活躍のスタイルを作り易い日本、

変わって欲しいし、

変える一助に自分も成りたい。

 

何故かと言うと、

自分の生きる国、日本を、

産まれて良かった、と、

心から想いたいのです。

 

「障害者」で在っても、

「障害者」に成ったとしても、

人として生き易い社会に、

何年かかっても、

「日本スタイル」ができて欲しいものです。

 

人が生きるから「人生」で在って、

人が活きてこその、

豊かな国日本、で在って欲しい。

 

そう強く想いながら、

一日を生きて居る。

🗝介助識 その1🗝 hiroshi の身体「排泄編」(2018.04.20)

🗝hiroshi の身体「排泄編」🗝

 

今日チョット、

綺麗では無いけれど、

人が生きる上で重要な、

「排泄」について描きます。

 

ぼくは、

オムツを使っています。

 

だけど、

感覚は有り、

自分でオシッコは出せます。

 

ではなぜ、

オムツを使っているのか❓

 

それは、

「間に合わないこと」「我慢できないこと」。

 

股関節を手術してあるために、

我慢する為に使える筋肉が、

使え無いのです。

 

あと、

笑ってしまうと、

オモラシになってしまうのです。

 

トイレに行きたくて、

我慢はできて、

身体の緊張が強くなると、

力が抜けた時や、

我慢できなくなった時に、

もらしてしまいます。

 

これは、

車の中でよくあることです。

 

いつからオムツを使う様になったのか?

それは、

4〜5年前だと思う。

 

ショートステイ先で、

話が楽しくて、

笑って失敗してしまうことがあったのです。

 

だから、

用心と、

もしもの時の為に、

使い始めたのです。

 

先にも書いた通り、

感覚は有るので、

親は反対しました。

 

「甘えたいのか😡」

「赤ちゃんなのか😤」

と、言われました。

 

他者にとって甘えであっても、

ぼくは、

「安心」が欲しかったのです。

 

ぼくの中では、

人間は、

必要なモノは使うべき、

と想っていて、

恥ずかしいやヒケメを感じる必要は無いと考えています。

 

先ほどぼくは、

オムツと書いたけれど、

正確には、

履くパンツとパッドです。

 

ぼくは、

家では、

うつ伏せで動いていて、

尿瓶(シビン)でトイレができます。

安心、安全を考えれば、

テープ止めオムツだと想うけれど、

1回外してしまったら、

テープがはめられ無いのです。

パッドだと、

用足しが終わったあと、

チャンとカバーできてい無いと、

ズボンが濡れます。

 

どれを使っても、

ベストは有りません😢

 

なかなかオシッコが出無い時は、

膀胱の辺りを叩いたり、

少しづつ刺激して、

オシッコの塊を探します。

塊が有るところを刺激すると、

出てくれます。

 

最近、

判りづらいことも有ったりして、

そういう時は、

ヘルパーさんに手伝いを頼んで、

押してもらったりもします。

 

次に、

ウンチのことです。

 

ぼくは、

ウンチはしたくなるけれど、

今は、

自分の力では出せません。

だから、

2〜3日に1回浣腸をします。

浣腸を使えば、

自分の力も使って排泄できます。

 

差し込み便器と、

オシッコが出るので、

袋を着けます。

 

1回オシッコが出て、

ウンチをして、

またオシッコをして、

終わりが確認できます。

 

ショートステイ先でも、

基本は変わりません。

でも、

一つだけ違うことが有ります。

ショートステイ先では、

オシッコの為に、

パッドを巻いておきます。

そうすると、

オシッコが出た時に、

出た感じでは無くて、

オモラシの感じがして、

変な感じで、

慣れることが無理なのです。

 

基本10分ほどで終わるので、

綺麗にしてもらって、

総ては20分ほどで終わります。

なお、

終わった後に、

お腹の痛みが有ったりします。

まだ浣腸効果が有るのか、

1〜2時間はオモラシの恐さと闘います。

 

なぜお仕事かと言うと、

対応してくれる職員さんの心遣いと想っています。

それに、

お仕事の方が話しやすいのです。

 

オムツ交換は、

朝とデイサービスのお風呂のあとと、

家に帰ってきて着替えの時に替えます。

あとは、

パッドが汚れた時です。

 

これからも、

やり方は変わっていくと想います。

 

何故今回、

排泄を描いたのは、

「ありのまま」と「現実」を隠さず描きたかったのです。

 

また、

排泄状況は、

障害を抱える人たちにとって、

多様に違うのです。

(座敷童子一部加筆)

 

脳性麻痺の自分でも、

排泄が大変なことがあることを、

伝えたいと想ったのです。

 

身体をテーマにした次の話は、

未だ何にするか決めていません。

 

またお話させていただきます。

 

座敷童子から

今回の投稿内容は、

hiroshiが赤裸々に告白しています。

 

何故「介助識」というタイトルにしたか❗️

 

それは、

 

このhiroshiの告白が、

障害を抱える利用者にとって、

なかなか吐露できない内容であるにも関わらず、

最も人間としての尊厳に関わるサービス提供内容のヒントとなる内容だからです。

 

ぜひ❣️

介助サービス提供に従事為さる方々の、

提供サービス内容への活用を願い、

ここに投稿するものです❣️

 

🌟ちょっと、❤️呼吸の始まり🌟 ティータイム 振り返り(2018.04.20)

🌟ティータイム 振り返り🌟

 

ブログの記事を書いて2ヶ月近くが経つ今日この頃、

僕には、

自分のパソコンやアイパッドが今は無いから、

自分のブログを観ることができなかった。

 

甥や姪はアイパッドを使っているので、

最近借りて、

ブログに目を通す。

 

自分のブログの記事に、

次に描くヒントがあったりする。

 

自分は、

一所賢明に、

その時の「言葉」「想い」「感情」などに集中しているので、

1本あるいは一つを仕上げると、

ある種の達成感がある。

描きたいことを忘れなければ、

もうちょっとスローペースで描いたりできるのだけど、

そうもいかず、

ペンを走らせる毎日を送ってきた。

 

最近になって、

休刊日、

休筆日、

創って居る。

 

僕は、

描き始めると、

2〜3時間、多い時3タイトル、

レポート用紙にして10枚くらい描いている。

 

そんな中で、

最近大変ではあるけれど、

できる様になったことがある。

それは、

レポート用紙を四つ折りにして10枚くらいまでなら、

封筒に入れられる様になったこと。

とは言っても、

10枚を綺麗に折って入れることはできない。

 

けれどもこれは、

描き始めてからできる様になったことで、

慣れてきたことなのです。

 

僕の身体は、

「できないこと」「難しいこと」が増えて生くもので、

気づき過ぎるくらいで、

その度人に、

できないこと、できなくなったことを言われ過ぎて、

疲れるのです。

だからこそ、

「できる」があると新鮮で、

素直に嬉しくもあります。

 

だからこそ、

大したことに見えないことでも、

描きたくなったりします。

 

普段、

「介護」「福祉」「介助」を中心に筆を進めてきたけれど、

これからは、

1日の中で、「チョットしたこと」  

あるいは、

自分の身体のことや、

描くにためらう様な「排泄」などの、

言わなければ「知らないこと」を、

書き進めてみたいと想う。

 

何故かと言うと、

「障害者」の書く本を読むと、

頑張ったことや、

綺麗なことが多いことに気づく。

だからこそ、

隠さずありのままに描こうと想って居る。

 

それが、

hiroshiという一人の人間が生きて居るということだと想うのです。

 

自分の身体、想い、心、考えなど、

テーマを増やして生くことで、

描くということの視点も増えて生く。

そうすることで、

こういう人間も居る、

考えも有ると知ってもらえるキッカケづくりができれば良いと想って居る。

 

そんな一つに、

僕のブログもしていこうと、

改めて想う。

 

それが、

ここ3〜4日で考えたことなのです。

 

そんな風に想う今日この頃なのでした。

 

これからどんなモノを書き進めて生くかは、

決まっていません。

 

だからこそ、

 ブログと言う子どもの成長を、

視ていただければ、

嬉しく想います。