障害を抱えて生きて居るから言いたいhiroshiのことば

この身体で産まれて来た湧き上がってくる意味を思いつくままに伝えて生く

😤雄叫び 😢 一人でもよいこと、そうはいかないこと(2018.04.14)

😤一人でもよいこと、そうはいかないこと😢

 

人は、

一人でも、

認識、理解、共感、をしてくれたなら、

孤独から解放され、

幸せを感じる。

 

そんな感情を持つことができる。

 

ところが、

それと言うものは、

人の感性の豊かさや、

心の余裕や、

観察眼、察知するアンテナの高さになると想う。

 

特に、

人と相対する介護の世界において、

コミュニケーションとして最重要であり、

最重要課題の一つである。

 

今僕は、

自分の言葉が話せていない。

 

過去の記事の中で僕は話せる、

と書いた。

その能力、または特技や好きなことを失ったわけでは無い。

 

話せる、理解できると思われているから、

会話としての言葉は出ているから、

言ってこない、言いたく無い、甘えているなどと、

感じているのだと想う。

 

しかしこれは、

僕の感じる雰囲気、感覚で想像しているので、

実際の答えでは無いかもしれない。

 

でも、

答えは幾つも在るから、

その一つにすぎないかもしれない。

ただ自分の感覚では、

この感覚で捉えている。

 

そのことによって、

デイサービスという共同生活から、

「建物」から出て行ってしまうのです。

 

だから、

周りには、

「出て行った」「いつか帰ってくる」「勝手なことしてる」など、

ある意味、

「信用」、「しっかりしている」と思われる。

思ってくれているからこその放任主義と言ってもよいのかもしれない。

 

ただしこれも、

前述したとおりの自分の感覚である。

でも、

自分の心で起きていることは、

違う。

 

いくつか理由を書いてみる。

1.少し空気を吸いたい。

2.難しい時、流れについていくことができない。

3.自然に出て行ってしまう。

4.寂しさや孤独を強く心に感じている。

5.総てがイヤになる。

 

何かイヤになってしまったことが在っても言えない。

そんなことが起きていても、

観ていない、見てくれない、気づいてくれない、

などがある。

 

前述した五つの要素のうち、

1と2は、

自分の意思でやっているから、

安心な側面はある。

ただ、

3.4.5.に切り替わってしまうことがある。

そうなると、

自分のコントロールがし辛い。

聞かないということになってしまう。

 

時間がよめないわけでは無いから、

勝手なこと、自由なことにしかならないのです。

 

でも本人は、

葛藤の連続毎日を送っている。

 

解っている、理解できるからこその葛藤も在る。

逆にコントロールし辛い自分も居ることを、

知って欲しい気持ちも強い。

 

こんな風に描けるなら言えるのだから、

言えばよいだろうと思う人も多いだろう。

自分でもそう想うところは在る。

 

でも、

 

やらないのでは無く、

言えない、ので在る。

 

それは今、

一緒に居る職員との信頼関係の喪失が、

原因で在る。

ただこれは、

今起きたことでは無い。

 

日々の心のズレが、

大きな溝を生んでしまった。

できてしまったというのが、

本当のところなのです。

 

これは、

ブログのその一に描いたところも、

大きな原因の一つである。

 

言えること、話せること、理解できること、

への一面しか見てもらえない悔しさと、

伝えられないモドカシサと、

言えない弱さ、もあると想う。

 

ただこれは、

自分の自慢のなってしまうかもしれないけれど、

僕は、

心のアンテナの高さが在る。

感じ取る 

空気を読むことを、

中心に生きてきた。

 

それゆえの、

感じ過ぎ、読み過ぎができてしまうから、

やってしまう、

やるしかないを生んでしまっている原因の一つになってしまう。

 

言わない、

言えない、

大きな原因。

それは、

これ以上、

「心のズレ」を生みたくないことと、

もう一つ、

言うことによって、

文句と取られ、

憎まれる、

嫌われる、

を産んでしまう。

 

そのことで、

ますます、

心の居場所を失くすこと。

 

言ったことによって、

嫌われた、

憎まれた、

ことが在る。

 

実際、

今僕が居るデイサービスで有ったことである。

 

学校でも有った。

 

これは、

心のイジメ、

心の差別を産む。

 

なによりそのことの最大の原因は、

 

支援をする側が、強者、

受ける側が、弱者、

という、

風潮に在る。

 

それゆえに、

ある意味の、

言葉の自由を奪ってしまうこともある。

 

嫌われたくない、から、

自分の言葉を言わない、

言いたく無い。

良い人、

可愛い人で居れば楽だし、

そう居るしか無い環境、関係が産まれる。

 

「黒い卵」が、

 毎日産まれる。

 

だから、

心配をして貰える、サポートをしなければいけない、

と職員が認識、理解を持って貰える人なら、

組織、グループにおいて、

心の居場所は、有る。

 

僕は、

「しっかりしろ❗️」と言われることが有る。

これを言った人、

今まで言われたことも、

沢山有る。

 

僕は僕なりに、

「シッカリして居る」つもりで居る。

僕の心にこれ以上「大きな穴」を作って欲しくも無いし、

創りたくも無い。

 

だからこそ、

「放って置かれる感覚」は、

欲しくは無い。

「観てくれている」という安心が、

欲しい。

 

そして、

そう人に感じさせることが、

「楽しいデイサービスの条件」で在るのです。

 

もちろん、

人には多種多様が在り、

いろんな考えは有るし、

有って良いと想う。

 

ただ総ての利用者を、

安心させる、

孤独にしない。

これは、

なんとしても、

護って欲しいと想う。

 

そして、

このことは、

何をやるにしても、

大切で、

僕が最も大切にしている。