障害を抱えて生きて居るから言いたいhiroshiのことば

この身体で産まれて来た湧き上がってくる意味を思いつくままに伝えて生く

🌟ちょっと、五呼吸🌟 話すことと手紙を書くこと(2018.04.03)

🌟話すことと手紙を書くこと🌟

 

人に伝えるということは、

難しいと感じる。

 

言葉(喋ること)で上手く伝わらないと感じたら、

手紙(文字)という手段があると想っている。

 

でも、

普段の生活の中では、

言葉が中心になる。

 

でも、

人にも因るけれど、

伝わりかたが違ったり、

捉えかたが違うことがある。

 

言葉を間違えたりしても、

ニュアンスや雰囲気で、感じ取ってくれる人も居る。

 

言葉を使えるほうだと思われている自分は、

最近、話すことがプレッシャーに想って、

会話なら凄く話しても、

頼みごと、伝えることは、

辛く感じる。

伝え上手には、

幾ら話しても成れない。

これは、

自分が話を始めてからずぅ〜っと感じてきた。

 

「話すこと」と「伝えること」、「伝わること」の難しさに、

苦しさも加わってきた。

 

昔から、

こんなことをズッと言われてきた。

 

「どうでもよいこと」はいくらでも話すのに、

「肝心な事」は、話さないと……

 

言われて、ぐうの音も出ない時と、

そうでは無いんだけど、と、心の底から感じる時がある。

 

僕は普段の生活で、

言い返すことはあまり無い。

言い返すよりも、

溜める、溜まる、性格なのです。

 

話していて、

喧嘩や言い合いになると、

「そこまで言うなら、自分ことは自分でやれ❗️」と、

「究極の一言」を言われてしまうことが有る。

 

「言いたいこと」は、

全くというほど変わってしまう。

 

だから、

聞き出してもらえたり、

話し易い気持ちの環境をつくってもらえたり、

そういう形で話せる人間関係や、

ある意味、

そういうところもあるんだな、と、

思ってもらえたら良いな、と想う時が在る。

 

これは、

甘えたいわけでは無くて、

心の余裕をつくって欲しい、

創りたいと、

想うのです。

 

話している時も、

人の話を聞かなければいけなくて、

黙っている時と、

言えない時、が在る。

 

でも、

自分が人に伝えたい時、

講演や自分の力や、話す熱さで、

「伝える」「伝わる」ことが多い。

 

今も自分の熱さが伝われば、

と、想っている。

 

想うことの中に、

伝えたい、伝わって欲しいことの他に、

想うの中に、

熱さが詰まっている情熱を込めてある。

 

敢えて言うのは、

伝わるようにしたいのです。

 

文章を読む時に、

純粋さ、真っ直ぐさや、

楽しさは伝わってくる、感じる時が、

自分には沢山有る。

 

でも、

自分が大切にしたいのは、

物事に対する熱さ、

行動や口動の中に在る熱を込めることだと想う。

 

本当は、

読んでくれる人の感性に任せたい。

 

でも、

この一言で、

伝力の弱さを、

弱いなりにも高めたいと考えたのです。

 

こういう時、

作家の様に巧く描けたり、

引き込まれる文章が描けたらと、

染み染み感じる。

 

最も、

それができたら、

僕は作家に成れるかもしれない。