🌟ちょっと、九呼吸 🌟 言葉にすること(2019.01.03)
🌟 言葉にすること🌟
みなさん、
こんにちは。hiroshiです。
今日も、
hiroshiの言葉に付き合ってもらえたら、
嬉しいです。
今日は、
言葉にすることを話していきたいと想います。
さて、
人には、
話が上手い人、下手な人、面白い人、面白く無い人、
いろいろ居るのだと想いますが…
今日は、
タイプでは無くて、
言葉の通じ方、
取られ方を話したいと想います。
hiroshiは、
昔から、
よく喋ると言われています。
本人でも、
そんな感じには想っています。
けれども、
二人の人が同じことを言った場合、
一人の人の話は伝わった、
または、
伝わって居ると感じても、
hiroshiが言うと、
伝わらない、伝わっていない、
と想うことがよくあります。
話せることが200%、
解ることも200%できる、
と人に理解されて居るhiroshiにとって、
伝わらない、
上手くいかないのはなんでだろう❓
と考えたり、
どうして❓
と思い悩むことが多いのです。
これは、
趣味や好きなことにしても、
感じることがあります。
例えば、
アニメやキャラクターが好き、
と言ったら、
その歳で、とか、
大人なのに…なんてよく言われます。
別に、
人の反応なんて気にしなければ良いのだとは想うけれど、
返って来る反応が、
ぼくの心には辛いのです。
だからと言って話をしなければ、
「話せるでしょ❗️」といわれることは、
当たり前のように、
言葉が返って来ます。
ここまでなら、
ブログを始めた頃に沢山描いて来ました。
感じ取って欲しい、
と沢山描いて来たのも、
ぼくが人と話をしていく上で、
何を、どう言う意味で言われて居るのか❓を、
職人が観て盗むことと同じ様に、
感じることが、
なにより大切なのだと、
いろんな人に教えてもらって来たからなのです。
だからこそ、
一人の人の言葉、
特に伝えたいことや価値観については、
ありのままとか、
純粋という感覚を大切にしたいと想うのです。
こういうカタチや関係ができていく、
そうであるからこそ、
言って居ることの意味が伝わるのだと想う。
人に伝える、
モノを言うという勇気のいることが、
意味を持って来るのだと、
いつも想っています。
身体に障害を抱えているがゆえに、
理解できる頭に注目をされ過ぎていると想う、
この頃です。
でもこれは、
hiroshiに限ったことでもなければ、
障害の有無なども関係無いのかもしれない。
でも、
なんとなく、
伝わり辛さは、
生きて生く辛さに繋がっていると、
いつも想う。
そうであるなら、
自然と言う意味での環境問題だけでは無くて、
「言葉の言い易い精神的環境」と言う意味の環境問題も、
とても大きい意味を持っていると、
最近強く感じていることの一つです。
みなさん、
テレビで見る人もあるかと思いますが、
清水寺で、
「今年の文字」というのがあるけれど、
hiroshiの中では、
言う、聴く、伝える、解る、
を一つの文字が浮かんで来ています。
ぼくは、
自分が大切にしたいこと、伝えたいことは、
これからも、
描き続ける、言い続けるということは、
していこうと想う。
でも、
その反対側から観れば、
言葉の言い易い環境が創れたならば、
人々が、
自分の言葉、自分の感性が、
自然に受け止めることの環境は整うと想っている。
ただ現実として、
想うことしか出来無い状況が、
とても寂しい気持ちになる。
これからは、
「言葉の環境」にも、
心を使いたいと想う。