障害を抱えて生きて居るから言いたいhiroshiのことば

この身体で産まれて来た湧き上がってくる意味を思いつくままに伝えて生く

🌟ちょっと、四呼吸🌟言葉の伝わり方と捉え方 (2018.03.29)

🌟言葉の伝わり方と捉え方

 

言葉には意味が在る。

 

自分、

正直な思いを言いたい人に伝えられずに、

言い易い第三者に言ったら、

「愚痴になってしまう」、

と言葉が返って来た。

 

僕は、

言い易い人に想いを伝えたわけなのです。

 

何故直接ではなかったのか‼️

 

それは、

相手に対する、

自分の気持ちの言い辛い心が在る。

そこの大切を巧く言えない辛さは、

なかなか伝わらない。

というのが、

話した相手との「心の距離の遠さ」に繋がってしまうし、

繋がって居るのだと想う。

 

僕は、

「愚痴」と「想い」は、

「表裏一体」と考えて居る。

「愚痴」と想って聴いてしまえば、

その気持ちの一部しか覗くことができない。

 

ただ想いと感じ捉えてもらえたならば、

「言葉の深さ」、

「想いの深さ」、

に気づくことができていく。

そのなかで、

「言えない自分」が「言える自分」、

「聴く耳を持てない自分」が「聴く耳を持てる自分」

に成って生くと想う。

 

その関係を築く、

速い人、遅い人

居ると想う。

 

ただ、

巧く言えない気持ちを汲み取ってもらえたなら、

汲み取れたなら、

心は近くなり、

相談し易くなる、され易くもなると想って居る。

 

最近の会話のなかで、

「捉え方の大切さ」を考え、

相手に伝わり難い自分の言葉に、

「苛立ち」と「刹那さ」と「淋しさ」 の中で、

心が藻搔いて居る。

 

決して、

伝えたく無いのでは無く、

伝えたい。

本当に沢山有って。

 

一応、

いや多分、

言語障害が無いと、

150%判断されてしまって居ると感じる「自分の葛藤」は、

毎日在る。

 

この感覚は、

「障害の有無」には関係無いかもしれない。

 

ただある意味、

「伝えられること」から興きてくる、

「伝力障害」に苦しむ自分自心に悩みながら、

今を生きて居る。

 

そしていつの日か、

こういう苦しみから解き放たれたい自分が居る。

 

こういう状態を、

「認識」「理解」の中で、

「有りの侭の自分の言葉」を使えることでの、

「言葉の自由」

を持ちたいと、

心の底から感じて居る。