障害を抱えて生きて居るから言いたいhiroshiのことば

この身体で産まれて来た湧き上がってくる意味を思いつくままに伝えて生く

🐲起点 起 🐉 座敷童子さんとの出逢い (2018.04.19)

🐲座敷童子さんとの出逢い 🐉

 

今日、

座敷童子さんとの出逢いを描こうと想う。

 

僕と座敷童子さんは、

2年ほど前に出会った。

ある場所で、仕事の仲間として。

 

一緒に仕事をする上で感じることは、

とにかく、

エネルギーが溢れる人であるということ。

常に、

人の人格を大切にして発言をして、

言葉で問いかけることを一丁目において生きている様に感じる。

 

実は僕は、

座敷童子さんのことを15年ほど前から、

名前だけは知っていた。

いざ本人に逢った時は、

座敷童子さんと気づかずに、

失礼なことをしてしまった。

 

僕にとっては、

同志であり、先生でもあり、

 

なにより、

僕の考えに共感をしてくれ、

僕という人間を、

一緒に育ててくれている。

 

親や親戚を除いた中では、

一番大切な人です。

 

人間は、

人と関わることで、

気づいたり、新たな世界を観ること、

魅せてくれることがある。

 

僕にとってそう想える人は、

41年の人生の中で、

初めての人なのだ。

 

井の中の蛙 大海を知らず」とあるけれど、

「大海」を感じさせてくれたり、

「海」に出て行く手助けをしてくれている。

 

ありのままの僕を認めて、

一緒に今を生きている。

 

その中で、

「自律すること」を教えてもらいながら、

「自立をして生くこと」だと、

座敷童子さんからの「心の教え」を貰いながら、

「ありのままの自分」の、

自分がどう動いて生きたいのか❓

動いて生くのか❓

を、

日々考えながら、

座敷童子さんと一緒に、

物事に当たって生くことが、

「これからの自分が進んで生くべき道」だと想っている。

 

自分は、

29歳になって初めて、

ヘルパーさんや、

タクシーなどの交通手段を使いながら、

いろいろな経験をすることができるようになった。

 

そして、

亀の様な歩みではあるけれど、

「自分の世界」を拡げてきた。

拡がってきたというのが、

本当のところだろうが…

 

そして今、

新たなステージに上がりたいと想っている。

 

このブログも、

座敷童子さんの発案で、

協力をしてもらいながら、

自分の気持ちを描いている。

 

未だ未だ言葉足らずで、

子どもの様な文章で、

読者のみなさんには申し訳ないと感じている。

 

でも、

描くこと、描き続けることで、

言葉も増やしていこうと想う。

 

今僕の世界は、

変化を始めている。

 

正直、

それが、

「生きる」ということなのだと想う。

 

戸惑い、怖さ、不安、を抱えながら、

新たな像(カタチ)を築いて生きたい。

 

座敷童子さんは、

僕の力に期待し、

愛の厳しさの中に、

「僕の価値」を見つけてくれた。

 

未だ粗削りな自分だけど、

人に信じてもらったから、

今があるとしたなら、

 

今度は、

自分が一緒に共創を目標として行こうと、

心からみなさんに言いたいと想う。

 

座敷童子さんと歩むことのできる自分を幸せに想う。

 

*代筆者からの一言

今回の投稿内容は、

自分のことであるので、

非常に照れ臭く、くすぐったい内容なのですが、

hiroshiからのメッセージですので、

そのまま投稿させていただきました☺️

 

座敷童子

 

 

介護とは何か❓ 017 *人を好きになること (2018.04.07)

*人を好きになること

 

人を好きになること。

これは、

「恋愛」のお話ではありません。

 

僕は、

互いに好きにならなければ、

身体のことを診てもらいたく無いのです。

 

心を開けないということが正しいかもしれない。

できるなら、

良い関係を創りたい。

 

それは、

介護していることが仕事だからとか、

義務的や仕方無く、が、

無言でも伝わって来るのです。

 

仕事故に、

割り切って仕方無くやる、

という人も居るのも自由かもしれない。

 

人を好きになるという言葉の中には、

良い関係を創りたい。

そのことで、

話しやすかったり、頼みやすかったりする。

 

そんな関係が、

「関わりの楽しさ」ではないだろうか❣️

 

そして、

その関係が、

時間に追われる中にあっても、

人をチャンと観るということ。

 

何が正しいかは、

人それぞれの価値観だけど、

その人の大切なことを解ることや、

感じる、捉える、視える 、観えてくる。

他にも言葉はあるかもしれない。

 

「限られた時間」の中で、

無理なところもあるかもしれない。

 

でも僕は、

人とのお話の中で、

それを心がけている。

 

僕は、

仕事では無いと想うかもしれない。

 

でも、

例え少ない時間でも、

その人の考え、気持ちが伝わって来る様に想う。

 

そういう、

「心の目」を持つこと。

鍛える、磨くことが、

少数派でも、

自分一人で在っても、

生き易さが生まれて、

何より実感できるし、

生きていて良いと思えたり、

生きていこうと、

日々を前向きになれると、

いつも想う。

 

特に今、

毎日強く悩む。

自分を責めることが多いから、

感じることかもしれない。

 

人間、

ずっとは笑って居られないこともある。

 

でも、

そう心がけたり、

そういうチャンスがあるなら、

活かしたいと想う。

 

最近、

同じテーマのモノを描いていることに気づいた。

 

一気に書き上げて一つにすれば良いと想うのだけど、

湧き上がった時、

文章が浮かんだ時に書くので、

読んでくださる方には、

読み辛いかもしれない。

 

よく、

同じテーマで描けると想うこともある。

 

想いたったが吉日ならぬ、

想いたったが描き時だと想う。

 

自分は、

それを逃さずに描いて生きたいと想う。

介護とは何か❓ 016 *001の続編 同性介護に物申す (2018.04.07)

*001の続編 同性介護に物申す

 

僕はよく想うことが有る。

 

「障害者は少数派」は、

弱いということ。

 

僕はよく、

「自分の考え」を10人でも、

いや一人でも解ってくれて、

10人の「仲間」、あるいは「理解者」が欲しいなら、

100人に声かけをすれば良い…と

 

でも、

「介護の世界」

1つの施設で100人は居ない。

 

自分が「同性介護」を描いた時、

やっぱり「やってもらう側」は過半数の力が無いと、

「やり辛さ」「生き辛さ」を感じる。

 

人間、

「十人十色」「100者100様」「100人100様」だろうか❓

だったら、

「利用者」にも「十人十色」の考え、想いが有って良いはずだと想う。

 

その上で、

「どこかルール」を創る。

「白黒別ける」なら、

何処だろうか❓

 

ルールに従えない自分は、

「バカ」や「ダメ」や「落ちこぼれ」なんだろうか❓

 

組織として「ルール」や「マニュアル」が有る。

或いは創る。

そうなった時に、

「他人の気持ち」は何処に扱われるのか❓

 

僕には判らない。

 

「ケアプラン」もそうだと思う。

 

「全部はできない」と言いつつ、

ある程度作る。

何の為に、

「その人に作るのか❓」

 

ただ、

全部はできない、という言い方が、

説明を受けたり、話をした時に、

説明のされ方によって、

納得できたり、できなかったり、する。

 

結局のところ、

日頃のケアが、

「ケアプラン」だと想う。

 

日頃のコミュニケーションが取れているか❓いないか❓

 

自分にも責任はあるだろうが、

「どう向き合ってくれるか」は、

「僕の領域」では無いと感じる。

 

これが健常者なら、

少数でもグループはつくれる。

自分の身体のことは、

できるからだ。

 

仕事で辛いことは有って評価されないことは、

「理解されないこと」と同じかもしれない。

 

でも仕事は、

「辞めること」「替えること」もできる。

 

でも、

僕たちの身体は、

「選べない」「やめられない」のだ‼️

 

このことが、

如何に苦しいことなのか‼️

 

今一度、

仕事の現場優先ルールで良いのか⁉️

心を置き去りにしてないのか⁉️

 

当事者も含めた「共通ルール」や、

「 平等を感じられるルール」づくりをして欲しいと想う。

 

当事者も含めたルールづくりがベストだし、

チャンと意見の言える環境づくりも、

重要になってくる。

 

これは、

どの仕事、どの立場も言えることが大前提なのは、

言うまでも無い事だと想うけれど、

ハッキリ言いたいことであるのは、

ある意味当然かもしれない、と強く想うのでした。

 

僕は、

組織からしたら、

「判らず屋」「ワガママな人」かもしれない。

自分は自分の考えが心の中にあるのだ。

たったそれだけ、とも想うかもしれない。

 

でも人にとっては、

「それだけのこと」、この七文字で済むわけでは無いこともある。

 

そんな気持ちを言える、

吐き出す場所が欲しい‼️

 

もしかしたら、

気持ち的には解っていても、

「決まりごと」故に、

「仕方ない」と想っているかもしれない。

 

現在の福祉において、

女性が7割、男性3割がよいところだろう。

 

7割に介護してもらえない寂しさは、

そうとうな事なのです。

 

 

🐲起点 四 🐉 レポート用紙とノート (2019.04.09)

🐲レポート用紙とノート🐉

 

みなさん こんにちは

hiroshiです。

 

未だ本格的に力を入れて描くことは難しいので、

こんなお話をしたいと想います。

 

今日の主役は、

レポート用紙とノートです。

 

hiroshiは、

ブログを始めてから、

レポート用紙と友だちになりました。(笑)

 

今までたくさんのお話をするために、

1,000枚以上は書いてきました。

冊で数えると、

15冊くらいだと記憶しています。

 

ところでみなさんは、

レポート用紙やノートって、

何処で生産されているか、考えたことってありますか❓

 

hiroshiは、

そんなことを考えたことはありませんでした。

 

最近、

描こうと想ってノートを見たら、

中国、台湾、インドネシアって、

いろいろな国で生産されているんですね。

これを見た時に、

日本でhiroshiという1人の人間が伝えたいことを描いているモノが、

中国や台湾やインドネシアの人たちが造ってくれたレポート用紙やノートで、

ブログやデータ整理をしていると想うと、

全く知らない人が造ってくれたんだと気づきました。

 

会ったことも無いし、

会うことも無いと想う人たちが造ってくれたモノで、

自分の気持ちや考えを描くことができていると想う、

「ありがとう」と伝えたいなと想います。

 

よく子供ころ、

ノートや鉛筆を「無駄にするな」と言われました。

なんで?と聞いてみると、

木でできているんだよ。

木は、

1日で育つわけじゃ無いんだよ、と

教えてもらったことを思い出しました。

 

僕が一つの話を描くために、

たくさんの人の力が使われていると想うと、

一生懸命描いていきたいと想います。

 

自然は、

創り出そうと想って創れるものでは無くて、

護りながら育てるものだと想います。

 

レポート用紙の話を描こうと想ったら、

環境(自然)のこと描いていました。

 

人は1人では生きられるものでは無い。

 

その言葉を

レポート用紙やノートからも教えてもらったhiroshiなのでした。

🐲起点 三 🐉 ブログの世界へ (2019.04.07)

🐲ブログの世界へ🐉

 

こんにちは、hiroshiです。

 

2019年も一生懸命にお話をしようと想っていたのですが、

少し長いお休みを取りました。

 

この休みの間は、

ブログのことを、

頭から消して過ごしていました。

 

結局3月の終わりの時点で、

6本(注釈:今年のカウント)しか描けませんでした。

その間は、

描きたいことを考えても居なかったけれど、

元号が「令和」に決まったころから、

ソロソロ描き始めたりしようなんて考えました。

 

タイトルを一つに纏めてみたり、

考えてみたり、

とりあえず250号(注釈:独自カウント)まで、

1本ずつ描いていこうと想います。

 

ということで、

「ブログの世界」に戻ることにしました。

そうは言っても、

 未だエンジンは温まってはいません。

 

だから、

今描いているこの1本は、

ウォーミングアップになればと想います。

 

よく、

一度離れてみると解ることがあるって言うけれど、

僕は、

描かなければ、

これはこれで一つの形なのだと、

心が納得しました。

 

だから、

「いつか描きたいと想うまでユックリしよう」と、

決めました。

 

今までなら、

気持ちがハッキリして居ない時には描きませんでした。

 

これからしばらくは、

「ペンが描いてくれる言葉」を、

hiroshiの言葉として聴いてもらえたら嬉しいです。

 

ではまた、

次のお話で会いましょう❣️

 

🐲起点 二 🐉 アイパッドのおはなし (2019.03.26)

🐲アイパッドのおはなし🐉

 

みなさん こんにちは hiroshiです。

 

今回は、

アイパッドのお話しをまとめて話してみようと想って居ます。

 

さて、

hiroshiがアイパッドを借りる様になったのは、

今から1年前の

2018年3月12日です。

 

なぜこんなに正確に覚えているの?って思う人もいるでしょう。

 

実は、

みなさんが観てくれているこのブログの誕生日なのです。

 

つまり、

自分のブログを、

座敷童子さんに投稿してもらったモノを観るために、

アイパッドを借りたのです。

 

それまでは、

アイパッドは知って居ても、

自分のモノでも無ければ、

使いたいという気持ちは、

1%も有りませんでした。

 

それまでどう想って居たかというと、

アイパッドはお姉ちゃんのモノで、

子供たちがゲームやYou Tubeを見るものでしかなかったのです。

 

僕が、

You Tubeに興味を持つなんて、

想っても無かったのです。

 

200本以上お話を描いてきたなかには、

たくさんYou Tubeアイパッドという言葉が出てきます。

 

3年くらい前…

もっと前かな。

You TubeのCMがやっていても、

自分には関係の無いことだったのです。

 

そもそも、

いつから家にアイパッドって有ったんだろう❓

という感じだったのです。

 

つまり、

ブログが無ければ、

アイパッドを触ることも無かったんです。

 

そこから、

姪っ子との共通の話題づくりのために、

スライムやスクィーズなどの動画や、

小中学生のユーチュウーバーの多いことや、

どんなことが好きだったり、

楽しかったりするんだろう?っていう興味の世界が拡がっていったんです。

それからは、

好きなユーチュウーバーのチャンネルを観たり、

朝は音楽を聴きながら着替える様になりました。

 

そんな生活を6ヶ月くらいした後に、

自分のアイパッドが欲しいと想う様になりました。

そうすれば、

自分の好きな時間に使えると想っていったのです。

 

それに、

You Tubeを観ることが、

ストレス解消になっていることにも気づいてはいたのです。

 

でも、

アイパッドは、

安いモノでも無いし、

欲しくても、

買うことを何ヶ月も悩みました。

 

毎日の様にYou Tubeが見たいって思っていても、

いつも、

自分のところには無いわけです。

自分のモノでは無いから、

あたりまえなんだけれど、

2〜3日触れないだけで、

触りたくて、

アイパッドやりたい病」に罹ったのです。

 

ぼくはもともと機械音痴なので、

何一つ設定もできないのです。

それどころか、

下手に使って壊したらどうしよう、

なんていうレベルなのです。

 

アプリの取り方も知らない自分が、

本格的に欲しいと思って、

話をしたのが1月正月でした。

 

そして今3月です。

ぼくは3月7日にアイパッドを買いました🎉

 

今は、

Yuo Tubeも好きな時に見られるけれど、

姪にゲームを入れてと言われて、

二人で使っています。

 

パソコン、スマホアイパッドなどなど、

機械が得意な人には便利な時代になったと思います。

 

実はhiroshiは、

8年くらいパソコンを触ってもいないので、

メールの使い方やカレンダーや、

メモ帳などの使い方を覚えていけば、

hiroshiのアイパッドになると想います。

 

今回は、

アイパッドYou Tubeの6タイトルを一つに纏めました。

 

もちろんこれから先も、

同じテーマの話は書くと想います。

でも次にYou Tubeの話を書く時は、

一つの話として描いてみようと想ってます。

予告では無いけれど、

次にアイパッドYou Tubeのの話をする時は、

hiroshiのお勧めユーチュウーバーって言うタイトルかもしれません。

 

今日は久しぶりにペンを持って疲れたので、

寝るまでユックリ大好きな動画を観て遊ぼうと想います。

 

それではまた会いましょう❣️

 

※代筆者からのお断り

hiroshiは、先天性脳性麻痺による肢体不自由状態です。

脳躍動状態と身体運動機能との不整合を抱えていることで、

言語表記の不具合を抱えて居ます。

本人の意思のもと、

合理的配慮で表記変換を施しています。

また、

文章スタイルは、hiroshiのありのまま状態を尊重し、

意思と感情を反映しつつ、若干の加工を施しています。

そして、

投稿掲載タイミングは、

天運に依り運行されていることも、

御理解願います。

(座敷童子)

 

🌟ちょっと、八呼吸🌟 書き急ぐ気持ち(2018.4.6)

🌟書き急ぐ気持ち🌟

 

このブログは、

「始まったばかり」です。

 

でも、

もう20本ほどのお話しを描きました。

1ヶ月足らずで20本、

ある意味、

超ハイペースかもしれない。

 

僕には、

「時間の制約」や「命の期限」が未だ有るわけじゃ無い。

でも、

「タイトル」だけ決めてユックリ描こうと想っても、

頭に在るうちに書かなければ、

忘れることがよくある。

 

それが凄く勿体無い、悔しい、に

繋がる。

 

せっかく、

自分が言いたい気持ちが、

今在る。

だから、

書き続ける。

 

この気持ちを大切にしたい。

「満たされない介護」に一石を投じて変化を呼びたい。

 

毎日心が悲鳴と叫びをあげている。

 

言い様に扱われ、

言い様な気持ちになり、

言いたい言葉の出ない「苦しさ」と闘う。

 

自分は話し言葉は沢山出ているから、

「元気」と思われているけど、

「心の神経」は、

擦り減っている。

 

こんな毎日が苦しい。

 

いつか、

「その人らしい生き方」のできる「福祉の未来」が欲しい。

創りたい。

 

「みんなの福祉」と言っている言葉を使っているうちは、

「福祉」は、

本当に、

「みんなのモノ」にはならないのかもしれない。

 

それでも、

理想が有る。

 

現実と毎日闘う、

向き合うには、

「心の体力」を必要以上に要る。

 

正直、

365日24時間は、

向き合えない。

 

それでも生きて生く。

 

言い尽くせないジレンマが有る。

 

また明日もペンを獲る。