障害を抱えて生きて居るから言いたいhiroshiのことば

この身体で産まれて来た湧き上がってくる意味を思いつくままに伝えて生く

夢見来❣️ 002 HIROSHI's WORLD(2018.03.29)

❣️HIROSHI's WORLD❣️

 

HIROSHI's WORLDとは、

僕が、23〜26歳までの3年余り、

友人に更新をお任せしてやっていたホームページである。

 

そのホームページで、

「HIROSHIの思い」というコーナーが有った。

このコーナーの中で、

僕が日々感じて居ることや、

趣味や、

当時産まれて来た甥っ子成長日記、

そして、

今書き綴って居るhiroshiの想いや考えを書いていた。

 

今のブログ、

「障害を抱えて生きて居るから言いたいhiroshiのことば」は、

15年余りの時が経ち、

代筆者である「座敷童(ざしきわらし)」さんの力を借り、投稿して居るのです。

ちなみに、

「座敷童」とは、

代筆者が考えた仮名です。

 

今私が描いていることは、

20代の時と変わらないのである。

それでは、

成長していないではないか、

と感じる人もいるかもしれない。

 

でも、

そこのところについては、

何年経っても心の状況が変わらないのもあるけれど、

いつ、

どんな時、

何年経とうとも、

「大切なところ」は揺るがないから変わらない、

と自分は想って居る。

 

当時も今も変わらないモノは何か⁉️

 

それは、

「自分の考えを強く持つということ」に繋がって居るのです。

 

ただ、

その気持ちを話にした時に、

「伝わり易く」「スリム」になって居るかは、

「別問題」なのです。

 

言うならば、

「ありのまま」の中に在る、

「自分の信念」になると想って居る。

 

その気持ちと一緒に、

今、

hiroshiの人生、時間を生きて居る。

 

ただ、

日々の生活において、

「自分の気持ち」を伝えたり、

「言うべきことは言う」、

というスタンスを取れて居るのか⁉️

と言えば、

空気を読み、

自分の気持ちを押し殺して生きて居る、

ハッキリ解って居る。

 

この呪縛は、

何年もの積み重ねになってしまって居るから、

目に見えてわかるほどに、

一気には「変われない」ところもある。

 

では何故「変われない」のだろうか⁉️

 

実は、

答えはハッキリしていて、

「やって貰う側の自分」が強く出てしまうと、

「やる側の反感」をカッテ、

「気持ち良い心での介護」は受けられないことが、

定説になってしまって居るところもある。

 

「やる側が上」、

「受ける側が下」、

という図式としてできて居る。

 

だから意外と、

僕もその仲間も、

「良い人」を演じなければいけないところもある。

 

そういう「刹那さ」を抱え、

「悔しさ」を感じていたからこそ、

「書くこと」での「ストレスの発散」をしたいが為に、

「ありのままの気持ち」を書いていた。

 

でも今は、

若干変わって来て居る。

 

「その時の心にあった気持ちの理由」を書かなければ、

今の自分のできる限りの「正直な気持ち」を、

真っ直ぐに向き合って描くことで、

40歳代の「今」を生きて居ると、

言うことになるのだと感じて居る。

 

20代に「見つけられなかった答え」を出したい。

 

15年の時が経った今だからこそ、

できる「チャンス」を、

今、手にしかけていると想う自分が居る。

 

だからこそ、

このブログにおいては、

纏まらなくても、

「本心と本音」で、

皆さんに読んで貰いたい。

 

また時には、

「語りかけ」や「問いかけ」をしたいと考えて居る。

 

 

夢見来❣️001 世界の確立に必要な人(2018.06.10)

❣️世界の確立に必要な人❣️

 

みなさん こんにちは😃

hroshiです。

今日は、6月10日です。

6月の4本目です。

(代筆者からお詫び:アップのタイミングは時節とずれます。本人了承です。)

 

障害者が生活をして生く上で、

ヘルパーさんなどの力が必要になります。

 

ヘルパーさんの力を借りる時に手助けをしてくれる人を、

「ケアマネジャー」という仕事があります。

ケアマネさんは、利用者さんの意見や気持ちなどを聴いて、

利用者の生活を支えてくれます。

 

でも、

僕には一つ心配ごとがいつもあります。

 

それは、

ケアマネさんが替わることです。

 

hiroshiのお世話になって居るケアマネさんは、

ある法人の人です。

そうなってくると、

「人事異動」が有ります。

 

今hiroshiがお世話なって居る人は、

hiroshiの気持ちや言葉を巧く汲み取ってくれています。

ある意味の、

心のコミュニケーションが取れることが重要です。

 

hiroshiの様に40代になると、

生活の形が変化します。

 

その大きな理由は、

「親」です。

 

僕が大人になるということは、

親は歳を重ねて生きます。

そうなってくると、

生活の場所は、

「施設」「グループホーム」「独り暮らし」などがあります。

 

この様なケースの中で、

ケアマネさんが替わるということは、

自分の気持ちの受け取り方、

捉え方で、

変わってしまうところもあるかもしれません。

 

特にこれから、

生活の確立や、

今ある像の継続をして生く上で、

重要なことになります。

 

やっぱりいつも想うことですが、

人間関係を築くことと、

もし人が替わっても生活を変わらずに送れるということを、

一番大切にしたいと想って居ます。

 

数年後に迎える生活の変化に、

どう進んで生くのか⁉️

 

今から考えなければいけないと考えて居ます。

 

親が居なくなった時に、

生きていかなければいけない、のでは無く、

安心して生きて生ける環境づくりが必要なのです。

 

だって、

親が居なくなっても、

自分は生きて生くということは変わらない‼️

 

それと同じくらい大切なことは、

自分のやりたいこと、

やっていこうとするには、

「地域」で暮らすといくことなのです。

 

地域で生きて、

自分でも自分なりの像で、

生きて生けると自分もできると想いたいし、

一人でも多くの人が、

地域で暮らすことができれば、

社会や人の目や、

新しい想いや考えが産まれて、

その考えが自分以外の人にも伝わり征くことで、

「新しい考えという果実」が実って生くのではないでしょうか‼️

 

人は、

生き貫くには、

誰かの力を借りて生きるのです。

 

これは、

「障害」の「有無」に関係無い‼️

 

ただ、

障害者には身体の手助けが必要だということです。

 

いつの日か、

こういう手助けが、

良い意味で、

それだけのこと、

と言い切ってしまえる時が来ることを、

心がこの想いで膨らみ続けているのです。

 

いずれにおいても、

僕がこれからも自分の生活を拡げる、

または切り開いて生くには、

多くの人の力と、

僕の想いを受け入れてくれる仲間が増えていくことが、

どうしても必要です。

 

こう想って居るからこそ、

「ケアマネージャーさんという人」が、

人と人を繋いでくれる大切な人なのです。

 

ある意味、

hiroshiの想いを汲み取りながら、

多くの皆さんと、

「共動」のための大切なパートナーなのです。

 

ちなみにhiroshiは、

今のケアマネさんと出逢ったのは2015年10月です。

今日は2018年6月10日なので、

3年目のお付き合いになります。

 

これまでも良い関係を築いてこられたと想って居る。

 

僕にはもったいないくらいの人なのです。

これからもお付き合いを5年、10年と続いて生けたらと想って居ます。

 

できるなら、

一生付き合って生きたいと毎日想って居ます。

 

名前は言えないけれど、

いつもありがとうございます❣️

 

これからも、

よろしく御願いします❣️

 

※代筆者からのお断り

この投稿は、先天性脳性小児麻痺による肢体不自由状態と、

脳躍動状態と身体運動機能との不整合を抱えていることでの言語表記の不具合を、

本人の意思のもと、

合理的配慮で表記変換を施しています。

また、文章スタイルは、本人のありのまま状態を尊重し、

意思と感情を反映しつつ、若干の加工を施しています。

ご理解願います。

 

また、

hiroshiへのコメントも大歓迎です❣️

 

対応は天運招来です。

お楽しみに❣️

介護とは何か❓ 012 *生きて生く怖さ (2018.03.27)

*生きて生く怖さ

 

今日も僕は、

レポート用紙に向かって居る。

 

今日のテーマは、「生きて生く怖さ」にした。

 

今僕の家庭においての「身体的生活」は、

お母さんに100%支えられて居る。

 

このお母さんが居なくなった時のことを、

最近よく想像するのです。

親が60代、自分が40代であれば、

日々その不安は頭の中にあって、

「拭いきれないもの」である。

 

人は、

障害を抱えて居なくても、

「生きて生くことの怖さ」は有るものだと、

僕の周りの人も言う。

 

そういった意味では、

自分だけでは無いと想うことも、

自分の心で感じられるときも在る。

 

ただ自分は、

親亡き後の「生活の形」を想像しなければならない時期に来て居る。

確かに今、

社会におけるサービスは、

自分が子どもの頃であった30年くらい前よりは、

「生き易い」社会に変わりつつあるので、

「生き易い」事態には変わりつつあるのも、

事実であるように想う。

 

ではなぜ「怖さ」を感じるのか❓

 

それは、

「金銭的不安」と、

「障害を抱えた人たちの生活の形」の「多様性の確立」ができ辛いことと、

その確立をしようにも、

サービスの「地域的格差」が在ることが、

大きな原因なのだと、

自分は想う。

 

そういうことに対しての不安で、

「気持が支配」されてしまって居るところは在る。

 

どう、

そこを変えて生くのか⁉️

課題だと想う。

 

僕の気持ちの中で、

「地域で生きて生くこと」、

それをテーマにして居る。

 

それはどうしてか⁉️

 

障害を抱えた人たちが「地域生活」をすることによって、

地域の認識や理解が深まって行くこと。

それに伴って、

他の人にも、

「私にもできる」と想ってもらえるんじゃないかと想って居る。

 

地域で生きて生くことで、

「施設」とは違うものが観えるところもあるように考えるのです。

 

かと言って、

「施設」で暮らしている「仲間たち」を否定はしない。

 

ただ言葉で言うほど「簡単」では無い。

 

不安が自分の気持ちの「支配」に変わりは無い。

 

ただその時期が来たならば、

いつかこの生活をして良かったと想える時が来ることを、

信じて生きて生きたいという、

気持は「小さな芽を出しつつ在る」。

 

僕は、

今の生活を維持しながら生きて生くことと、

今自分ができることを考えながら、

自分の気持ちにある小さな芽を育てて生きたいと、

想ってるのです。

 

そして、

僕の大好きな「ひまわり」は、

希望という名の太陽の力で、

太陽の先にあると信じて居る、

「自分の未来」に向かって生きたいと想う。

 

自分の想う「未来の完成形」は、

生きて生く形に悩まない、「その人らしい生活の確立」、

それが、

真の「共生社会」だと、

僕は自分の考えとして伝えて生きたい。

 

そしていつか、

今僕が描いていることが、

描かなくても良い、

障害を抱えた人が「心から棲み易い社会」となることを、

私は心から願うのです。

 

人は、

「思うだけ、考えるだけなら誰でもできる」という人も居る。

 

でも、

障害を抱えた僕は、

「想いが変化の始まり」だと信じて居る。

 

その「変化の始まり」のキッカケや、

こういう考えが、

社会に根っ子を張って育って生くように、

今できること一つ一つ、

確実にやって生きたいと考えて居る。

 

そして、そのことが、

障害を抱えて産まれて来た、

「hiroshiの役割」であって、

「hiroshiという人生を生きて生くこと」なのだと想う。

 

そして今、

僕に関わってくれて居る皆さんと、

これから人生で関わって生く皆さんに向けて、

御願いが一つあります。

 

私の信じる未来に向けて、

皆さんの御支援と、

hiroshiの考えを拡めて生く気持ちの「伝道者」として、

力を貸していただきたいと想って居ます。

介護とは何か❓011 *いのちの意味(2018.03.11)

*いのちの意味

 

数年前のこと。

神奈川で50人近い障害者施設での殺傷事件があった。

 

犯人は、

「障害者」には「生産性が無い」から、

「生きている意味が無い」。

また、

親たちが「子供の未来」を案じていたからやった、

と言った。

 

言葉も話せず、無抵抗な人を、

無差別に刺した。

何があろうと、

「人は殺してはいけない‼️」

それにこれは、

自分にとって「他人事では無い‼️」と想っている。

 

自分が話せても、

防御は100%無理だと想うからなのです。

「話せない」「動けない」「税金で養っている」そんな人間に、

意味があるのか⁉️と言われた時、

人間が生きる意味は、

誰にでもあって、

命の「価値」は誰にでも在る。

言葉が話してくれなくとも、

「笑顔」で会話したり、

なにか絶対その人が必要な意味は在る。

 

ただ、

「親」が「子ども」の将来を案じているのは、

内も変わらないと想う。

僕自身が、

「人生放棄」を考えることも在る。

 

僕たち「障害者」は、

命が早く終わってしまう人が少なくは無い。

 

僕はこの事件で、

亡くなった人、傷ついた人が居るなかで、

「何か問いかけられてる」気がしてならない。

 

命に代えて、

「社会への問いかけ」をしてくれたのでは…

 

今の、

「社会においての弱者の生き辛さ」、

自分らしさを活かして生きるということ、

何より、

「生きることの権利」を奪ってしまった。

 

こんな理不尽なことは、

1回であっても「有ってはいけない‼️」

「人間に、必要で無い人は居ない‼️」と想う。

 

それであっても、

「命は毎日生きて居るのが当然」でも無い。

 

だからこそ、

「今」を生きて居ることに「価値」が有る。

 

僕は、

「生きて居る意味」に、

一生かかっても「答え」が出せないかもしれない。

 

でも、

「生きた意味」を遺して生きたいとは想う。

今こうして生きて居ることに感謝して…

 

考え続けること、

取り組み続けて、

「答えを求める気持ち」を持って、

生きて生く‼️

意思ある他力本願 ∞人財の増減と発掘の方策(ボッチャプレイクラブを通して)∞(2018.02.07)

∞人財の増減と発掘の方策(ボッチャプレイクラブを通して)∞

 

ボッチャクラブにどう人を呼ぶのか?

人に伝えていくのか?

これにはいくつかの原因があるので書いてみたいところです。

 

まず、

ボッチャというものを支援学校にいる時に経験をします。

でも、

卒業時にかなりの確率で離れます。

おそらくかなりの確率で、

やりたくてもやる機会、場所を失くしてしまうことになります。

 

ボッチャを今やっている人たちを競技人口というなら、

200人いたとして、

経験したことある、またはやりたい人は10倍20倍いると、

私は思っています。

 

でも、どこでやっているか?

どうしたらいいのか?

思っているうちに競技熱も醒めてしまうと考えます。

 

実際、

県には日本代表はいます。

でも、

その大会(県大会)に出る人は、

50人弱でマイナースポーツの段階です。

 

それには、

競技人口の発掘より前に、

経験者が戻って来る、来れる方策を、

1丁目に置くべきと考えています。

 

こういった人たちの拡充ができれば、

ボッチャの宣伝をした時の、

言葉の大きさに繋がっていくものと想っています。

 

もう一つ、

ボッチャを「みんなのスポーツ」にすることでしょう。

「みんなでできるスポーツ」として伝えること。

そのうえで、

今やっている自分たちが、

どう発信をするのか⁉️

が、鍵であることですが、

私にも決め手がありません。

でも、

1年間(8〜9回)その場所でやり続けることで、

「やっている場所」が在ることを伝えられる一つだと、

想っています。

 

⭕️発信力の強さ

発信力、推進力、「リーダーシップの強さ」は、

人それぞれである。

一人に理解をしてもらえたら、

拡がる力は強くなっていくと感じます。

 

どんな人にでもできることとして、

興味を持ってもらうには、

子供たちに、

こんなスポーツがあると伝えられる機会づくりを、

して生きたいと想います。

極端な発想になれば、

「ボール遊び」で良いんです。

 

それを、

競技としてしていくには、

個人の気持ちと、

周りの理解もあります。

どれだけやりたい気持ちを伝えられて、

それをどう受け取るか❓でしょう。

 

でも、

初めてやりたいと思う時って、

完全明確に伝えられる人ばっかりでは無いと考えます。

それゆえに、

「やりたい気持ち」をどう受け止めてあげられるのかだと、

自分は考えます。

やってみて、

「できた」「楽しい」を感じられることが、

大切なことです。

 

その宣伝には、

「和氣楽会」総会があります。

ボッチャのブースを建てることもありますが、

「ボッチャ」「ローリングバレー」の実演等が、

この総会の柱になっています。

私は、

その両方に関わっているので、

伝える側でしょう。

 

でも、

新規参加者が殆ど居ません。

主催者も、

新規参加者、スタッフの呼びかけしています。

でも、

回を重ねていることは、

凄いと想います。

 

さて話を戻します。

 

⭕️クラブ運営費について

レインボードリームスは、

5人の部員の会費、10万弱で運営しています。

ただ、

クラブ運営、ボール代、交通費等考えると、

1年間20万円を目指したいと想っています。

1人が2万円を出すことは簡単では無い。

だから、

協賛者を募ることも考えます。

そう簡単にはいかないでしょう。

 

でも、

それより大切にしたいもの。

自分たちのクラブであるということ。

それゆえに、

自分たちのお金でやることも重要なことを理解し、

認識をしてもらった上の運営はしたいと想ってます。

 

ここは、

何があっても譲れない‼️

 

誰かが手伝ってくれればできることと、

「助けてもらえば良い」って発想は違う。

 

胸の内

「頑張っているから手伝って欲しい。

協力して欲しいって、いつもみんなに想ってるよ。

日々の生活でもね。

そうした時の達成感は、楽しい。

苦しみや悩みは沢山あるけどね」

 

少し脱線したかもね(笑)

 

僕自身の会費納入を完成できたら、

今年末か夏の段階で、

ボール2号を購入予定をしています。

大会に出た時も、

3セットくらい必要だから、

まだ足らないと思うし、

更新も考えないといけないので、

道具整備環境整備は、

グループとしても必要と考えて居ます。

 

⭕️今の現状

今自分たちが確実にできると言い切れるのは、

1ヶ月1回の練習は、

4年の活動の中で確立できました。

ただ、

大会には毎年エントリーしているけれど、

行きたい人全ての行きやすい環境をつくりたいし、

そうあるべきと考えます。

そのために、

サポーターの拡大を考えます。

ざっくり言うと、

力を貸してくれる人、

活動や気持ちに賛同してくれる人ってことと想います。

 

⭕️参加人数

今自分たち5人とヘルパーさんたちと支援者4人、こどもたち2〜3人、

10〜15名で活動しています。

練習の内容の拡充、

練習、大会のサポートメンバーの勧誘は必要なことです。

拡充することによって、

会費の増収、

個人会費の減額もできるし、

人が増えることで発信力は高まり、

仲間がボッチャをやってるよ、って

ここにあるよ、

できるところ、

ある意味「息抜き」でも良いかもしれない。

 

みんなが「楽しめる場所」が最重要だけど、

この想い大切にしたい。

けれど、

行き違いも多々ある。

だけど「やり続ける」を貫く。

 

ここ、大ポイントと考えます。

 

これ以上増えたら大変と思うよりも、

僕のような立場の人を増やしていけば良いし、

そうしたいことなのです。

 

正直今の現状は、

毎日毎回練習するのが大変で、

「人の言葉、考え」を、

聴いて聴かせてもらう余裕が無いのが現実です。

 

今僕たちは、

施設に入所だったりすれば、

チームは自然に消滅してしまうでしょう。

でもそれは、

チームを作った時に思ったこと。

続けてきたこと、生くことの意味を失くしてしまうことは嫌で怖いこと。

 

地元にチームが在ってできること、

スポーツが有るってことは、

残し続けたいと考えます。

 

⭕️レインボードリームスとは

みんなにはそれぞれの色があり、

合わせるとそれが綺麗であるということを想って、

名付けました。

 

以上が、現状レポートです。

介護とは何か? 010 *心の怒り‼️ (2018.03.26)

*心の怒り‼️

 

僕は週末、

「ボッチャ」、「ローリングバレー」、「友だちとの買い物」など、

いくつかの活動をしている。

こういう活動をしていくのは、

土曜日、日曜日が中心となっている。

 

特にボッチャは、

「レインボードリームス」というチームを地元で立ち上げ、

1ヶ月に1回のペースで仲間とやっている。

 

ただ最近、困ったことがよくある。

これらの活動をしていくうえで、

1ヶ月以上前からヘルパーさんにお願いしておいても、

時間が取れないのです。

 

僕は自分の予定について、

こう、想っている。

 

自分の中で大切な予定は、

「どうしてもやりたいこと」、

または、

人を動かしてしまう中では、

「やらなくてはいけないこと」が増えてきた。

 

もう、

「自分一人の予定では無いこと」も増えてきたのです。

 

そのために、

何ヶ月も前から「先手」「先手」を打って動くのだけれど、

「都合がつかない」と言われる。

「イレギュラー」とか、

「人手が足らない」とか、

言ったりする。

 

でも、

ここで一つ考えて欲しいモノがある‼️

 

事業所として利用者は「必要」で、

「使いたい」から契約する。

 

「契約をする」ということは、

「その利用者の要望はできる」という前提で、

サービス提供者は受けるのは当然である。

受けられない原因、

それは「人手不足」にある。

 

確かにどこの事業所も「人手不足」なのは解っている。

 

でもここで一つ、

声を大にして言いたい事がある‼️

 

その「人手不足」や 「都合がつかない」ことを、

簡単に利用者に言うことに、

問題が有る‼️

 

そんなことは、

何があっても、

「お客様」に言うべきでは無い‼️

 

「介護事業者」または「従事者」としての、

「責任」と「プライド」は何処に有るのだろうか⁉️

 

もし、

人の生活を軽く見ているなら、

それは、

「言語道断」である‼️

 

「責任」と「プライド」と言った「自覚の無さ」と、

「利用者の活動に対する想い」

を、

どう受け止めているのか⁉️

 

このことを、

「1丁目1番地」に掲げられずして、

介護職に就てはならないと想う。

 

昨今、

「1億総活躍社会」と謳われているが、

当然その中に、

「障害者」も入っているはずだし、

「障害者の社会進出」を謳っているのなら、

それぞれの想いを遂げることがらは、

実現に向けてすべきではないだろうか⁉️

 

そういうことの積み重ねが、

「障害者」に対する「認識」と「考え」が深まり、

やがて、

「変化の胎動」が産まれ、

「変化」が起きていくのだと、

僕は強く想っている。

 

そのためにも、

「自分らしく生きて活動できる機会を奪ってはならない」のです‼️

 

「社会的弱者」は、

想うように行動をでき無くて良いわけでは無い。

行動と口動(こうどう)が有るからこそ、

社会は変わって行く。

変えられる、

と想い続けて生く。

 

だからこそ、

「介護事業所」、「介護従事者」に、

「奮起」と「奮闘」をしてもらいたい‼️

 

僕は、

「一人では何も変わらない」と想っていた人間だけれども、

今は違う❗️

 

「一人からでも動けば変わる‼️」と想っている。

 

だからこそ最後に、

この話は、

「大きな怒り」と「憤り」と「悔しさ」の中で描いたことを伝えておくこととする。

 

「介護者」は、

「人の世界や生活」を、

軽く捉えるな‼️❗️

介護とは何か? 009 *書くことよりも話すこと (2018.03.11)

*書くことよりも話すこと

 

僕は、

「書くこと」よりも、

「話すこと」のほうが得意かもしれません。

話すことのほうが「熱」が伝わり易いのです。

 

インターネットで文字になった時、

想っていることがどう伝わるのか?

伝えたいことが伝わるのか?

 

書くのもまとまらない、

話をすれば山手線の様にクルッと一周してまとまらない。

 

それでも、

「書いたり」「話したり」を続けることに変わりない。

もしこのことを止めてしまったなら、

僕は僕では無くなってしまうという「怖さ」がある。

 

生活していても、

自分の気持ちが伝わらずに、

「心の生きづらさ」を感じている。

 

僕はいちおう、

皆さんが聴き取れるであろう「言葉」は話せたりする。

人には、

「おまえ一人で三人分だ」と言われる。

確かにそうだと思うが、

昔は五人分話せたと想っている。

そう考えてみると、

自分も静かになったと思うけれど、

でも僕の周りは、良くも悪くも「認めない」と思う。

 

どうせ三人分なら、

「握り寿司」なら食べる自信がある‼️(笑)

 

正直35を過ぎてから、

「話しづらさ」を感じる。

これは「身体的」な意味で、

「話したいこと」が頭に有ったとしても、

「言葉にできなかったりする。」

後は、

「緊張」が入ればやっぱり話せない。

そういう時は、

「ゆっくり話したり」、

友だちに言葉で「あ行」から言葉で文字盤を頼んだりする。

 

それでも話したい。

 

また別の観点においては、

自分の普段話している言葉で話さないと「ちゃんと話せ」とか、

「甘え」に取られることもある。

 

確かに、

疲れてる時や、甘えられる人なら、

そういう時もある。

人間は「伸び代」も有るし、

「ゆったりする。させてあげる」ことも必要なのだとシミジミ想う。

 

話せるから「言える」、

「言ってくるのがあたりまえ」、

という決まりきった「定説」がある。

 

僕だって「話しづらい」 「頼みづらい」「言いづらい」もある。

でも三人分話せる自分には、

「そういう部分」がある。

 

人間いろんなところに合わせたり、ものを言うことも有る様に、

僕にだっていろいろな場面というか、

状況も有るのに、

僕は一部しか見てもらえない。

 

そんな時は、

「一人の人として」悲しくなる。

 

描くことは好きなだけで巧くも無い。

 

でも、

好きであることは、

なにをやるにおいても「必要」なことの一つかもしれない。

 

僕は「 嫌い」と想いながら、

モノができるほど器用な人では無い。

 

前に書いた、

何を以って「障害」とか「健常」とか言った時に、

いろんな「視点」「論点」「考え方」があるから、

「答えは一つでは無い」。

それを描くと言うのは難しい。

それでも「描く」のは、

小さいころから「好き」でいられたことが、

大きな理由なのです。

 

それに今は、

描きたいことが有り、湧いて来るのです。

 

何か一つ「文」や「イメージ」が湧いて、

一つのタイトルを付けて描き上げる。

 

僕はいつも、

「話しながら」「描きながら」考える。

 

どんなものができるか❓

どんな話になるのか❓

は、

ペンの力に任せたい。

「意志のある他力本願」だろう。

 

僕は自分の気持ちが続く限り、

「描く」も「話す」も止めない‼️