介護とは何か? 006 *気持ちのかたち? 想いのかたち? (2018.03.07)
*気持ちのかたち? 想いのかたち?
今日はこんなことを話してみたいと思います。
僕はいつも書くように、
「障害者」です。
介助を受けるにあたって、
または、
頼む立場として、
考えや気持ちが伝わらなければ気持ちが苦しい介助や介護になります。
そこで僕はいつも、
こういう考えを持って居ます。
人間一人一人考えも性格も違います。
だから、
100%「解ってあげる」、
理解する、理解してもらうことは無理な話です。
でも、
こう考えてみませんか?
人間が100個ピースのパズルでできていて、
100グラムであったとします。
それぞれのピースには、
「感情」「考え」「想い」など、
いろいろ書いてあります。
でも、
100個のピースそれぞれに重さが違うと考えてください。
もし、
そのうちの10個が70グラムを占めていたなら、
そこの部分を「自分の大切なところ」として、
「介護する人」「受ける人」、または、
「人として考える」上で、
「共有認識」として知ってもらい、
理解を深めていけたなら、と思うのです。
あえて70%と書きました。
でもこれが50%でも、60%でもかまわない、という人もいるかもしれません。
でも物事を進める時、
半分以上の理解、あるいはミカタが居た方が、
日々の生活がし易いな、
と僕自身は想って居ます。
そうすれば、
身体の充実も在りますが、
「心の安心」と「自分から湧き出る力」とか、
なにより、
「笑顔」で居られるのではといつも心で感じているのです。
ということはまだ、
「安心」とか「リラックス」は得られて居ないということなのです。
どうして解ってくれないんだろう?
どうして苦しいのか?
毎日考えて居ます。
「自分が解ってもらう側」
「相手が受け止める側」
と
完全に「分ける」つもりはありません。
これは、
「どんな人」
「どんな仕事」
「どんな立場の人」にも言えるのではないでしょうか?
人間には「多種多様」な人がいます。
それゆえに、
いろんな考え、気持ちがあることは、
心のどこかに置いて生きて生きたいと想うのです。
もちろん、
この考えは、
多くの考えや想いにすぎません。
ただ、
この思いが、
僕には大切であると言い続けることが大切で、
自分の考えとして伝えて生きたいと想います。
だって、
人の考えや想いに「蓋」や「邪魔」はすべきではないのだから…